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夜の街が俺を拒んだため、俺達の逢瀬はいつも海だった。
何度も勇気を出してネオン輝くあの街に向かったが、まるで境界線のように入口に佇む電飾の門が、いつだって俺の足を止めた。
――帰りな坊や、ここは坊やがくる街じゃないよ。
俺を拒む門の奥にズラリと並ぶネオン看板もキラキラと語りかけてくる。
――あの夜は一瞬の夢だったんだよ、坊や。
街に立ち入ることもできずに目と心をやられた俺は、踵を返しトボトボと逢瀬の海へと先乗りするのであった。
「アタシは絶対に来るから、無理しなくていいよ」
この言葉だって何度も苦笑交じりに繰り返された。
背を丸めて引き返す姿をどこからか見られていたのだろう、バカにするわけでもなく諭すような声で宥められたものだった。
「何で街へ迎えにくるのにこだわるのさ?」
停止しているのであろう、低く響き続けるバイクのエンジン音が道の向こうから聞こえてきていたあの夜、何度も繰り返されることになる質問が初めて口にされた。
結局最後までまともに答えず、はぐらかし続けた。
何となく彼女は「男が女を迎えにいくことに憧れている」と勘違いしてくれていたようだが、そんな初恋もまだのガキが抱く幻想が理由ではなかった。
彼女と出会ってなお、俺は見たくないものから目を背けようとしている自分がいることに気づいてしまったのだ。
俺が彼女に一目惚れしてしまった事実は、裏を返せば何も知らずに好きになってしまったことに他ならない。
どれだけ逢瀬を重ねても、俺は彼女の下の名前しか知らなかったし聞けなかったし、ましてやそれが源氏名か本名かすら聞けない臆病者だった。
もちろん日毎に知っていることは増えていくが、同時に不安や疑問を抱えるのが恋の常だろう。
職業柄、彼女が接するのは男性客ばかり。
経験ない俺の聞きかじったような知識だけど、同伴だってあるだろうしアフターだってするだろう。接客中に近い距離にあって、触れ合ったりすることだってあるかもしれない。
要は恋に不慣れな臆病で内気な男の醜い嫉妬が、自身を苛んでいるんだ。
勇気を持って一歩踏み出して境界線を越えれば、より鮮明に彼女を見ることができるのはわかっているが、強い嫉妬心とは裏腹に脆すぎる女々しい男の心が耐えられない気がしていたんだ。
――だから逃げた。
ただの区域境界の電飾門のせいにして、立ち並ぶネオン看板のせいにして、着飾った道行く男女を住む世界が違う人種だと割り切ったフリをして、心に保険をかけて逃げているだけなんだ。見ないふりと見えないふりを繰り返しているだけだった。
仕事のツラさに泣きながら互いに愚痴を言い合ったり、コンビニで買ってきた安物の花火で盛り上がったり、偶然触れ合った指にビックリして飛び退いたのを初心だとからかわれたり、君は左利きなんだねと他愛もない会話をしたり、そんな生活をいじらしく守りたかった。たとえ喧騒渦巻くあの街の蝶のような姿を見れなくても、些細なことで泣いたり笑ったりしてくれる彼女の1つ1つが、大事な宝物だった。
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