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でも逃げるわけにはいかない。うちが烈と杏を守るんだ。二人は死んでない。帰って馬鹿話の続きをするんだ。
不格好で臆病な覚悟を決めたうちの耳に杏の声が届く。
「生きて。」
一つの意味しか持たないはずのその言葉は、無数の意味を抱え込んで私の足を無理矢理動かし、路地を抜けて闇夜へ走らせていた。
蚊の鳴くような小さな小さな声。でもその音はうちの耳に強烈に残り、煩いほどにいつまでも鳴り響いた。
生きるための盗みならば仏様は許してくださると思っていた。うちらみたいな子供が必死に生きようとしてるんだから。当然許されると、そう思い込んでいた。
与えられたのは慈悲ではなく二人の死だった。仏様などいないことを嫌というほど思い知らされた。
何が悪いのか。
私達を捨てた親。
真っ当に生きてこなかった私達。
行き過ぎた罰を与えた店主。
因果が絡み合うそんな複雑な話ではなくもっと簡単なこと。
盗んだから殺された。罪に対する罰、それはこの世の理だ。
私はこの世の理を憎んだ。走りながらそいつに向かって何度も何度も罵ったが、うちの言葉は静かな夜に飲み込まれるだけで、そいつから返事が帰ってくることはなかった。
何処を目指しているのかも、帰り道も分からない。
足が動く限り夜通し走り続けた。
過ぎること数日。うちは大きな川沿いの傍らに座って何かを待っていた。その手にはあの簪がぎゅっと握りしめられていた。
手を解けば二人を忘れてしまいそうでずっとそうしていた。
烈と杏が追いかけてきてくれるのを待っていたのか、全部夢だったと目が覚めるのを待っていたのかは、見知らぬ誰かが救いの手を差し伸べるのを待っていたのか。何を待っていたのかは分からなかった。
揚々と辺りを照らす太陽。
そんな太陽によく似た笑い声と共にその人は現れた。
「ハハハッ。えらく汚ェ成りのガキだな!お前は・・・一応女、だよな?」
声の持ち主が気になってその顔を見上げる。その細く長い指に煙管を挟んだ男。
痩せた身体は貧しかったあの街の人達を思い起こさせるが、子供ながらに分かるその身に纏った上質な着物からそうでは無いことを知る。よく笑うその人の目の周りには皺が深く刻まれていた。その皺はその人の人となりをよく語っていた。
頭から足の先まで隅々残さずぐるっと見回しながら話しかけてくる。
その問いに対して頷くことも首を振ることもしなかったが、男は私のきつく結ばれた手に握られた簪を見て話を続けた。
「まぁ、御誂え向きに簪も持ってることだし丁度いいだろ。良し、飯食わせてやるから付いてこい。」
この人が私が待っていた“何か”なのかは分からなかったが、腹も減っていたし他にどうする訳も持ち合わせていなかったのでついていくことにした。
前を行くその人は煙管を吸いながらこちらを振り向くこともなく話しかけてくる。時折流れてくる煙が鼻腔を刺激する。
「俺は“咲之屋”だ。名は──まァ知らなくてもいいだろ。さんでも殿でも付けてお前が好きなように呼んでくれ。」
「咲。」
くるりと踵を返し、後ろ向きに歩きながら答える咲さん。
「おいおい、いきなり呼び捨てとはいい度胸だな。否、好きに呼べって言ったのは確かに俺だ。この咲之屋様とお近付きになりたいっていう不器用なお前なりの方法だと受け止めとくぜ。」
前を向き直し話を続ける。
「ところでよ。お前はなんて名前なんだよ。金は───まァ、持ってなさそうだが名前くらいはあんだろ?」
「善。」
「今“ぜん”って言ったか?」
私が名前を呟くと半音上がった驚嘆の声と共に再び振り返った。
もう一度隅々まで見渡すとまたあの笑顔をみせて話し出す。
「アイツと同じ名前たァ、お前そんな成りしてえらく立派な名前持ってるじゃねぇか。良し良し。益々気に入った。おらッ、早く飯屋に行くぞ。」
子供のように無邪気な顔で駆け出す咲さん。
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