傘と煙管と簪と

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「善。永くないあちきの身を哀れと思うているのでありんしたらどうかひとつ頼みを聞いておくんなんし。その時が来たらどうか翡然の名と簪を受け取って欲しいのでありんす。何、遠慮なぞいりんせん。あちきと一緒に仲良く土に埋められるより、善と一緒に日の下にいる方がその子も幸せでありんしょうから。姉さまが。あちきが生きた跡を善の中に刻んでおいて欲しいのでござんす。」 流れる涙をそのままに、そっと笑って見せる。 「逝く前に、嗚呼。もう一度だけでもレツさんの吐く煙に巻かれながら、気散じ(きさんじ※)で馬鹿な話を聞きたかったでありんしたなぁ。顔に煙を吹きかけられるのもレツさんであれば存外嫌では無いでありんした。」 吹き出物と発疹でかつての美しさとは程遠いその顔が見せる笑顔は、夢か幻かあの日の翡然花魁ありのままの姿を映して見せた。 「生まれ変わることが出来るのでありんしたら、お天道様の待つ空までゆらりと花魁道中を練るもまた一興でござんすな。」 そう呟き終えた姉さんの手は、わっちの手の温もりさえ奪って虚しく冷えていった。  寛永13年(1636年)3月15日(4月20日)  二代目 翡然花魁(善) 楊梅瘡(梅毒)の為逝去 享年20 太陽が届かぬ、雲が濃い日であった。 その翌日。 わっちはある場所を目指して力無く歩いていた。仕事をほっぽって進む足取りは重く。その手には不格好な文字が綴られた一枚の紙がぐしゃりと曲がって握られていた。。 わっちは許せなかった。姉さんの死ぬ一夜前。速達の飛脚に頼み危篤を伝える文を咲さんの元へ飛ばしたが、その人は遂に姿を見せることはなかった。 姉さんもわっちも咲さんを見誤っていたと。信じていた自分さえ憎くなって爪を掌に食い込ませた。 姉さんが亡くなった悲しさと咲さんへの怒りが交互に押しかけてわっちの胸を荒らす。 そんな葛藤と共に地図が示す家の前に着く。 家の中から何やら次々と運び出されている。中を覗き込んだが咲さんの姿は無い。そんなわっちを見て家の前に立つ男が声を出す。 「咲さんに何か用かい?女房がいるとは聞いてなかったが──なんかの知り合いか?」 どこか暗さを持ち、怪訝そうな顔で話しかける男。 事情を話すとその顔はより一層暗さを増す。 「咲さんはなぁ──。二日前に死んだよ。」 道中の心労が耳にまで広がっているとそう思った。否、そう信じたかった。もう一度男の話に耳を傾けた──。 遡ること二日前。 近くの飯屋で喧嘩を始めた輩達を止めるため、いつかのようにその間に割って入った。しかし相手は周りも分からないほど深々と酒に酔っていた。身体を押さえ付ける咲さんを暴漢だと思い込みそのまま切り捨て、仲間と共に闇夜へと消えた。 半刻を空け、役人と共に飯屋に舞い戻ってきた男達。間抜けにも捕まって死罪になると、咲さんの無念は報われると誰もがそう思った。しかし、何より相手が悪かった。 咲さんを切り捨てた男は武士であった。 男は地面に伏すその人を指差し「そこに転ぶ男がいきなり襲いかかってきた」と(うそぶ)く。周りの取り巻きたちも確かに見た、とそれに続く。 役人は冷たくなったその身体をよく調べもせず帰ってゆく。当の男達も腰にぶら下げた刀を自慢気にちゃきちゃきと鳴らし、堂々と道の真ん中を歩いて帰っていった。 『切捨御免』 命を軽んじる正義の言葉。力を持つ者を尊ぶ立派なその言葉に咲さんは無様に殺された。 震える私を見てその人は私の手を開きそれを持たせて握らせた。 「あいよ。咲さんが遺した形見の煙管だ。俺が持つよりあんたが持ってた方があの人も煙管も喜ぶだろうよ。」 煙草の匂いが染み付いたそれが出逢ったあの日を思い出させる。 ※気散じ…馬鹿な、駄目な
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