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『…む…な……』
『貉さーん!私の声聞こえてますか!?』
伊鶴さんの声に意識を取り戻す。立つのは游咏魚の水槽の中。
あれから六年間。何度も来たことがあるはずのこの場所がいつもよりも狭く空気が重く感じた。游咏魚はそんな私を気にすることなくゆっくりと円を描いて泳いでいる。
『貉さん気をつけてくださいね。なんだか今回の正暦分岐点、いつもと違うような…うまく言語化出来ないんですけど、どこか違和感を感じるんです。』
いつもの明るい声とは様子が違う影の掛かった声が水槽内に響く。
「大丈夫ですよ。必ず戻ってきます。」
『正暦分岐点1637.01.24、エピソード名“一揆当千”。
レコードボックス内痕跡索解析中…。解析完了。
箱嵜貉、コード番号R:8539647を確認。
正暦保全者一名転送開始。』
表皮から筋肉、そして心の中へと染み込んでくる記録の圧。
命を落としたあの日の記録へと意識が潜り込む──。
──潜ったそこにあったのは仄暗い部屋と中で座って向かい合う十数人の人影。
揺らめく蝋燭の火が見覚えのある面々を照らしている。
「益田様。代官を討ちその勢いままにその数を増やした島原の一揆勢とも合流し大名共を迎え討つ準備はできております。この原城に迫る板倉を討ち仲間の無念を晴らしましょう。」
ひとりの男が部屋の一番奥にいる男へ向かって語りかける。
「蘆塚殿の言うとおり。悪政を敷き我々の心身を焼いていた奴らの業火からいよいよ抜け出すときが来た。デウス様の加護と神童天草四郎が我々を勝利へと導いてくれる。」
そういって手を引かれ皆の前に出された少年…いや、“過去の私自身”。彼は歓声が上がり熱気が満ちた目をした皆とは裏腹に、物憂げな冷めた目で皆を見返していた。
決起集会が終わり各々それぞれの持ち場へと散っていく。
どうにもおかしい。正暦保全者は記録の中の人間にも見えるため、見慣れない私のような人間がいれば何かしらの反応を示すはず。恐らくこの日は決戦前夜。そのような大事な集会に部外者がいれば尚の事…。
「どうしたよ?思い出の場所が懐かしくて感傷にでも浸ってたか?」
雲間から指す月明かりがその声を照らす。年齢は二十代前半。口元を覆う襟の高い白いフードの前ポケットに隠すように両手をしまっている。
「貴方は壊変者ですね?」
「流石正暦保全協会トップの箱嵜貉様、御名答。お前が俺を知らなくても俺は嫌というほどお前を知ってる。何度も何度も俺の壊変の邪魔しやがって。そんな優秀な正暦保全者のお前に復讐…いや、“プレゼント”があってこうして顔を見せてるってわけだ。」
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