生キ接木<イキツギ>

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 それは、雪原に眠る氷の姫の話であった。  アサナギは雪原に雪を見に行くべく、ムクドリに飛んでもらった。  ムクドリは鹿と仲良くなり、この話をききだしたのである。  その雪原には、鹿に命を救われた少女がいた。    ある貧しい町に、ひとりの女の子が生まれた。  女の子の家は貧しく、生まれたはいいが養う貯蓄がなかった。  国は戦争のさなかであり、その資金源として徴収を重くしていたからだ。  親は雪原で一番美しい木の下へ赤子を置き去りにした。せめて、人生で最初で最後の思い出として、キレイなものをみてくれればという、親の計らいだった。雪とともに風がふく夜のことだった。  寒空に赤子の泣き声がひびきわたる。親は目に涙を浮かべながら、聞こえないふりをして家に帰った。  やがて、泣き声はやんだ。  体は冷え切り、今にも命が尽きようとしている赤子をみつけたのが、雪原を闊歩する鹿の群れであった。  鹿は雪原で暖をとるため、木の枝や枯草、落ち葉をあつめて寝床をつくっていた。  そこまで赤子をくわえてつれていく。鹿の群れには王がいて、彼は子分たちに指示をだす。後日談になるが、鹿の内部では「人の子供を助けるなどという悪徳」と反発の声もあったようだが、王の熱心の説得のもと、子分はききいれた。凍死せぬよう、鹿たちは身をよせあって赤子を温めた。  赤子は成長し、鹿の背に乗り雪原を駆けまわるようになった。  少女と呼べる年齢になり、彼女は二本足で地に立ち歩いた。人の言語は話せなかった。鹿の言語も話せなかったが、彼女は鹿たちと意思疎通ができるようだった。  彼女は肉ではなく、鹿とおなじように草を、そして、時々、雪原の木に成ったリンゴを食べた。 「ここ付近のリンゴとは色がちがうのよ。オレンジ色で、日光をあびるとむこうまで透けちゃうの」 「その話、まるで、アサナギが鹿とお友達になった世界みたいだね」 「そうよ。だから私も気になってね。寒さに強い鳥にいってもらったの」 「この辺りは、雪がふらないね。アサナギは雪だるまを作りたいとおもったことはないかい?」 「あまりない」  やがて、鹿の群れの王は死んだ。  次に王になったのは、鹿に育てられた少女であった。人の脳をもっていた彼女にとって、鹿をまとめあげるのはたやすいことだった。  鹿の群れは他方の群れとのいざこざを、彼女の頭脳をもってうまく切り抜けた。  肉食獣との不要な諍いも減った。彼女はもう助からない命を、祈りをささげて肉食獣に与えた。やがて、群れは肉食獣に襲われなくなった。  人が雪原の資源を必要以上に侵略しようとした時は、ハイエナと狼と手をくみ、行く手を阻んだ。彼女の命令は的確で、その日を境に肉食獣たちからも絶大な支持を得るようになった。  動物は彼女に対して絶対の信頼をよせる。彼女の指示に従い、彼女の号令のもと、雪原を駆けてゆく。  氷の姫。  雪原の動物たちは、彼女をそう評した。  彼女の力のおかげで、雪原は長らく平和であった。  だがある日、深淵の青の空が、紫に光った。  雪原のちかくの町――姫が産まれた町――にウイルス攻撃がしかけられた。 「ウイルス攻撃?」 「トオル、あなたの病気、伝染はしないのよね。でも、その病原菌が目にみえないところから人の体に入りこむとしたら、怖いでしょう?」 「……」 「そんな悪魔のような考え方をする人間が、この世界のどこかにいるのよ。イイエ、むしろ、人自体が悪魔なのかもしれない」  風にのり、雪に混じり、ウイルスは雪原の動物の命を犯してゆく。  姫の故郷の町の人々も、全員死んだ。  氷の姫の体もウイルスによって蝕まれた。  雪原の動物は姫に死んでほしくなかった。動物たちはやがて力尽きようとするその肉体を姫に捧げ、骨肉にしてくれと頼んだ。  動物たちの努力もむなしく、姫の体はウイルスによってやせ細っていった。  姫は最後に、自分が捨てられていた木にいきたいという。鹿の背に乗り、痛む体をいたわりながら、雪の中、彼女は木にたどりつく。  姫は木の根元へ横たわる。  美しい頬へ雪がまいおりた。  やがて死に絶えるその時、群れの鹿は彼女に寄り添って泣いた。  彼女は死ぬ間際、夢現の状態にいたようだ。目を虚ろにし、鹿たちにむけて、唇をうごかした。彼女の世話を受けた動物たちに見守られながら、氷の姫は息絶えた。  その後、動物たちは彼女の肉体を湖底へ沈める。  すると不可思議なことがおきた。湖は凍り付き、そこに一本の木が生えたのだ。  枝には掌ほどの大きさの白い木の実が生えた。  それを食べた動物たちは、ウイルスが除去され生き延びたという。  今も雪原では、雪を愛する動物たちが豊かに生きている。
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