生キ接木<イキツギ>

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 アサナギはぼくが森に入った理由をきいた。  ぼくは持病について話す。森の奥に精霊の木があり、その根本周辺の薬草が『灰化』の痛みをおさえる鎮静剤になることをアサナギはしっていた。 「ラーラの残した形見ね」  すべてをきき終えたアサナギは、窓のふちで頬杖をつきながらいった。 「人は余分を欲した。ゆえに神は罰をあたえる。その四肢に、その胸に、その魂に。その肉体が自然からの贈り物だときづくのは、死を前にした瞬間である」 「父さんと母さんは結婚したあとに『灰色の金縛り』に罹患したんだ」 「トオル。あなた、どこまで進行しているの」 「下半身はもう灰化が終わった。肺もすこしやられている」  アサナギは瞳をくもらせて、空をみつめる。 「そう」 「ぼくはもうじき一五歳になる」  キタトリの町の兵役の任は、一五歳からだった。  カゼユキも保政官になれなければ、ぼくとおなじように戦地にゆくのだろう。彼はなにがあってもそれを阻止したいはずだ。 「金縛りがぼくを自然にかえすか、銃弾で胸を貫かれて死ぬか。どちらにせよ、ぼくは激痛の死からは逃れられない。死は怖いことだとおもう。だけど、ぼくは残された母さんのほうが心配なんだ」  ぼくが母さんの容態を語るとアサナギは沈痛な表情になった。  『灰色の金縛り』は肉体すべてが灰化してからも苦痛がつづく。その魂が完全に灰化するまで、痛みの牢獄にとらわれる。 「ぼくは母さんをラクにさせてあげたかったけど、それはできないかもしれない」  ぼくは力なく笑った。 「今日はバターと小麦粉、そして卵をもってきているんだ。アサナギとホットケーキを食べようとおもって」  重苦しい空気をかえようと、ぼくは荷袋から材料をとりだす。アサナギも空気をよみとったのか、微笑んだ。 「アラ? 私はいつも皆からご馳走をもらっているから気にしなくていいのに」 「木の実だけだとお腹が減るだろう。アサナギはとても細いよ。もっと食べないと」  ぼくはフライパンを要求した。  アサナギの体がのけぞり消えたかとおもえば、フライパンがふってきた。どうやら彼女の自慢の部屋には、台所も併設されているらしい。 「薪をさがしてくるね」 「ホットケーキ~、ホットケーキ~。私、ハチミツをかけてくれなきゃいやよ」 「ごめん。ハチミツは高価だからぼくには売ってくれないんだ。今度、アサナギがキタトリの町へおいでよ。アサナギになら売ってくれるだろう」 「冗談よ。トオルってば真面目ね。それに、私は契約の関係上、この家から出られないのです」  その陰りのある笑みのむこうに、青空がひろがっている。  ホットケーキは完成したが、どうやってアサナギは食べるのだろう。  最初は木の下から彼女の口めがけて、一口大のホットケーキを投げ入れようとした。だが、アサナギはそれをいやがった。「私は見世物小屋のアシカ(アシカという動物をぼくはしらない。どうやら昔、スイゾクカンという場所に棲息していたようだ。アサナギは昔のことをよくしっている)ではないわ。レディにはレディの食べ方があるの」と唇をとがらせた。ピースケが彼女へホットケーキを運ぶ係をひきうけた。すこし冷まさないと彼はケーキをとりこぼす。  一枚のホットケーキを平らげたあと、アサナギはぽつりといった。 「キングはどこにいるのかしらね」 「ン? ぼくは今、トランプの話をしていただろうか?」 「『灰色の金縛り』の病原体本体よ。あなたはしらないかもしれないけど、前世界がラグナロクで終焉する前の医療技術はすごかったのよ。キングを殺しさえすれば、あなたの病気は治ったかもしれない。私のマスターも太古の文献があればぜひとも読みたいって、いつもいってる」 「マスターは、お医者さん?」 「いいえ、勉強していたけど途中でやめたみたい」  アサナギはほくそ笑んでホットケーキのお代わりを要求する。ピースケは過労死したのか、湖の畔でぐったりしていた。 「さぁ、もう一枚お代わりをちょうだい? コラあなた、いつまで伸びているの? キビキビ働かないとあなたの晩ご飯はお預けよ?」  だが、アサナギに慈悲はなかった。  そのあとホットケーキをたべながら、アサナギはぼくのことをきいた。  好きな食べ物の話、町の話、カゼユキの話。アサナギはぼくが話を一つ終えるごとに感想をいい、笑った。  ぼくは世界古都図をみせながら、アサナギが今までみてきた景色をきいた。  それは、どれもぼくがみたことのないものだった。 「私は『トリノメ』と呼んでいるの、この力を。いつも彼らとお話していたら自然にできるようになったの。今日はね、とおくのヒバリ君が、岩場ですずんでいるキツネの親子をみつけてくれたの」  それは、ぼくがみたい世界だった。  トリノメ。トリノメ。彼女の目は、世界とつながっている。  帰り道。夕刻。紫色の夕闇が森をおおっている。  うすい紫煙のような霧が、ぼくをとりかこんでいた。  ふと、風を切る音がした。  霧にひそんでいたグリファランが、ぼくに奇襲をしかけた。  反応がもうすこし遅ければ、その鋭利な爪はぼくの胸を引き裂いていただろう。かろうじて致命傷を避けたが、腹を軽くえぐられた。鮮血がぼくの眼前を舞った。  ぼくの体は地に突き飛ばされ、衝撃に声をあげそうになった。だが、なんとか飲みこんだ。声をきいた他の獣にみつかる恐れがあったからだ。すっかり遅くなったから、とアサナギがぼくに渡したランタンは、ころがった衝撃で粉々になった。灯火は消え、夕闇がぼくをのみこむ。  陽の木の弓をかまえて距離をとった。狙いを絞ろうとするが霧がふかく、木の隙間をとびまわるグリファランの姿がみえない。  銃声がきこえた。  グリファランの唸り声はきこえなくなった。 「だれだい? 返答によっては殺す」  いつのまにか、ぼくのすぐそばに銃をもった人が立っていた。
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