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「あなた、マスターにあったわね」
次の日、開口一番にアサナギはそういった。
昨晩までの疑問は一瞬にして解消した。
――やはり。
昨日、あの男が背負っていたピンクのクマのぬいぐるみ。
どこかで見たとおもっていたが、あれはアサナギのツリーハウスの棚だ。
今はなくなっている。彼がもっていったのだ。
「私が助けなかったら、トオルの脳みそハチの巣になってたわよ。あの人の人嫌いは筋金入りなんだから」
「彼は、アサナギのお父さん?」
「ちがうわ」
森から青い鳥がツリーハウスにもどってきた。
「私に家族はいない。捨てられたの。マスターは私を拾ったのよ。それだけ」
黄色い花弁をくわえており、それをアサナギの口元へもっていく。
「このお花の蜜、とってもクセになる味なの。安眠作用もあるのかな。寝る前に飲むと、胸のあたりがポカポカするの」
一瞬、鳥の嘴とアサナギの唇がかさなる。やさしい手つきで鳥の頭をひとなでしたあと、彼女は花弁をつまんだ。花弁の匂いをかぎ、とろけた表情をうかべた。ピンク色の舌を艶めかしくゆらしながら、花弁の中心を舐めた。
「ありがとう。とてもおいしかったわ」
アサナギが食事を終えた後、鳥は花弁をくわえて、ふたたび森にきえた。
「ぼくもお土産があるんだ……マァ、命を助けてもらった対価としては、少々物足りないかもしれないけど」
昨日買ったチーズパンをちぎって彼女の鳥に運んでもらった。
彼女はワァと歓声をあげながら、目をとろけさせた。
「ありがとう。すごいわね、中はトロトロなのに外側はカリカリしているわ」
この前とおなじようにピースケがパンを運んだ。ピースケの嘴は、すっかりチーズまみれになってしまった。
すべてを食べ終え、彼女は口元をナプキンでふいた。
「私、昨日この子たちの目を通して、あなたの町をみていたのよ。どうしたの? すっかりお祭り騒ぎじゃない。私、『どーなっつ』とかいう丸いの食べてみたかった。この子たちが人のことばを話せたら、トオルにお遣いさせたのにっ! 役立たずっ! ぴーぴー鳴くんじゃんなくて、美しい詩の一つでもそらんじてはどうなのっ!」
きぃといいながら、アサナギは悔しがった。
周りにいた鳥たちは抗議するように彼女の髪をつついた。
「町の人がキマイラを討伐しようとしている。そのために英気を養うお祭りをしていたんだ」
「ふーん?」
アサナギはまったく興味がなさそうだった。その対応に面食らう。
「ふーん……って、君はあの『マスター』が大事な人なんじゃないの?」
「私は彼とただ契約をしただけよ。みて、この髪飾り」
アサナギは自身の耳の横をゆびさす。そこにあるのは、いつも着けている花の髪飾りだ。
「これが契約の証。マスターが昔大切な人からもらったんだって。すこし作りが古いけど、けっこうかわいいよね」
「契約? 前もいっていたね」
「そう。なんの契約だとおもう? トオルー、あててみてー」
アサナギは今日、袖の長い青のドレスを着ていた。
両手いっぱいにひろげて、ふらんふらんと体を軸にしてまわした。水辺の鳥が湖面で水浴びをしているようだった。
「メイドさんかな? マスターが留守の間、君が部屋の掃除をしているんだ」
「ぶっぶー。ここは彼のお家じゃないよ」
「じゃあ君は、マスターのなんなのさ」
「私は」
アサナギはそこでことばを切り、ンーと口元に指をあてる。
「なんだろ? なんなんだろね? 番犬かしら?」
ワンとアサナギは犬の真似をした。
「そう。でも、パッとみたかんじではお金の気配はしないね」
ぼくはため息をつく。
「それで? じゃあアサナギは、マスターが死んじゃってもいいっていうんだ」
森のどこかで銃声がきこえ、悲鳴が空をこだまする。
もしかしたら、昨日の今日でキマイラ討伐が始まったのか?
そういえば、今日の森には獣の気配がなかった。硝煙の臭いと人の気配をかんじとり、森の奥深くへ逃げたのかもしれない。
また、銃声が鳴る。
ぼくの手は無意識に弓にのびていた。
「ねぇアサナギ。今、銃声が」
「マスターが死ぬわけないじゃん」
その自信満々な様子に、ぼくは二の句をつげなくなる。
アサナギはしずかに口元に笑みをうかべて、ツリーハウスの窓からぼくをみおろしている。
「天空の城――ホールスティン城。あなたもこの城、しっているわよね?」
ホールスティン城。
その城はしっている。たしか、頭脳に長けた名君が統べていた城だ。反り立つ山の上に建ち、あらゆる軍勢を退けてきた。軍備も兵数も申し分なく、何世紀にも渡って難攻不落であった……人々は畏敬の念をこめて『天空の城』と呼んだ。
「しっているよ」
だが、それは最近までの話だ。
ホールスティン城は陥落した。城はみるも無残な姿へ様変わりし、その黒の瓦礫は血で赤く染まった。
たった、一晩の出来事だった。
アサナギは腕を水平に薙いだ。
「それをやったのが、キメコとマスターだもの。キメコはすごいのよ。とっても勇気があるんだから。鉄砲の弾を喰らっても、目に槍が刺さっても、果敢に兵士をなぎ倒した。って、マスターからきいたの」
鼻で笑うのは簡単だった。
だけど、ぼくはなにもいえずに立ち尽くした。
「私、仮説があるの。キメコ、きっとマスターに恐怖という感情を取り払われているんだわ。生存本能……、それすらもないキメコは、生物かしら? それとも? それでも私とキメコはお友達よ」
彼女はクスクスと口元に手をあてて笑い、しばらくして気がすんだのか、パンと手をたたいた。
「さぁ、トオル。そんなどうでもいい話は終わりよ。今日は私が『トリノメ』でみた物を絵に描いてあげるわ。カミシバイ、ってやつね」
アサナギは手元をゴソゴソとあさり、スケッチブックをとりだした。
遠くてみえにくいけど、鳥がクレヨンで描かれているのがわかった。
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