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「・・・では、私がリューク様に、」
「ああ、この薬をー」
「これで万事うまくいくー」
こそこそ、と今にも吹き出しが出てきそうな装いでがたいの良い男たちと、数人のメイドが頭を突き合わせるようにして小声で話し込んでいる。
薬、万事うまくいく。
この言葉に扉の向こうで耳を傾けていた当人のリューク・ジオルドは声をあげそうになるのを必死で抑えこんだ。
口元を右手で隠し、息を殺して彼らの様子をそっと伺う。
「こいつァ良く効くぜ?なんせ、あの紅の魔術師から買ったモンだからな」
にやり、と不気味な笑みを浮かべるのは、この邸の料理人のマカサだ。蝋燭の灯りに顔が照らされているせいかいつもより人相が悪くみえる。
ー紅の魔術師だと?!と、ぎりと思わずリュークは唇を噛み締めた。
紅の魔術師とは、このエルガ国随一を誇る宮廷魔術師であり、薬の手法を手がけることにおいて右に出るものはいないと聞く。
「うふふ。これでこの邸は安定ですわね」
くすくす、と上品に笑うのは、メイド長のアリサだ。彼女の赤い唇が怪しげな歪むのをみた。
彼らは、不気味な笑みを浮かべながら一つのコップにソレを注いで見せる。
そのソーサーは、リュークがいつも使っている物で、彼らが狙っている人物がリューク本人であると容易に想像ができる。
このまま彼らの話を聞き続けることが恐ろしくなり、リュークはフラフラとした足取りで自分の部屋へ戻っていった。
少し喉が乾き、いつもは執事を呼び飲み物を持ってきてしまうが、散歩がてら声をかけにいこうと行動したのが運のツキ。まさか自分を殺害しようとしている場面に遭遇するなんて、と頭を抱えてうずくまった。
はぁぁ、と深いため息をつきながら、実室のソファに腰を下ろす。
こんなことなら、部屋で執事を呼んで持ってきてもらえばよかったと。いつもと違う行動なんてそうするモンじゃないな、と後悔の念に苛まされる。
ーまさか、婚約者を迎える前日の夜に、使用人たちが自分を殺害しようとしているなんて、予想もしていなかった。
たしかに自分は、優れた領主とはいえない。至って平凡だし、要領も悪いし、外見も中の下、頑張っても中の中。そう、秀でた物はなく、長男だから、という理由で家を継いだ。
自分を殺して、唯一血の繋がりのある弟に家を継がせるつもりなのだろう、とリュークはそう結論付けた。
「死にたく、ないなぁ・・・」
頭を抱えながらそう呟く。少しだけ涙を浮かべてしまうのは仕方のないことだ。
ぼんやり、とリュークが顔を上げると、汚れひとつない窓のガラスに自分の姿が映る。
その顔は、明日婚約者を迎える男とは思えないほど荒んだ顔をしていた。
領主としてはまだまだ未熟で、徹夜続きの顔はもう悲惨だ。
元々、睡眠時間は多い方で、少しでも徹夜をすると隈がすぐにできてしまうし、肌色も健康な色とは言えない。
「はぁ・・人間、諦めが肝心、だよなぁ。まぁ、腹括るか」
よし、と覚悟を決めた時だった。
意図を覚えるほどのタイミングで、部屋がノックされた。
「リューク様。ノックスです」
「あ、ああ」
ノックをして部屋に入ってきたのは、執事のノックスだ。彼は片手にお盆を抱えており、リュークの目を惹いたのは、お盆の上に乗っているソーサーだった。
ソレは、先ほどリュークが見た物と全く同じ物だったのだ。
「ノックス、それ」
「はい。リューク様専用のソーサでございますが?」
「あ、いや、」
「何か?」
「なんでもない」
まさか、その中身は毒が入っているのでは、と聞くことなどできず、リュークはふるふると頭を横に振った。
かちゃかちゃ、と食器特有の高い音と共に、リュークが座るソファの前の机に丁寧に置かれた。
「本日は、明日に備えて良く眠れるようにと、特別に調合していただきました」
「良く、眠れるように・・?」
ぽつり、とリュークはノックスの言葉を反芻してみせる。
まさか永眠か?と、ぶるり、とリュークは身体を震わせる。身体を震わせるリュークを見て、風邪ですか?と心配そうにノックスが問いかけるが、今の彼には応える余裕なんてなかった。
ごくん、と喉を鳴らす。
緊張してソーサーを持つ手が震える。
そして、恐る恐る口をつけ、中の液体を飲み込んでみせた。
「あれ?」
口の中に広がるのは、ピーチのような甘い味と、すん、と鼻を鳴らすとフルーツに近い香りが漂う。
毒だと思って飲んだが、なんともない。
いや、むしろ心がすう、と落ち着いてくるのを感じた。
「な、なぁ・・ノックス、これって」
「はい。紅の魔術師に特別に調合していただいた薬になります」
「薬?これが?」
薬とはもっと苦くて不味い物だと思っていたリュークは、キョトンとしながらもう一口、飲んでみせる。
「正確には薬、ではなく、リューク様の体調を良くする代物でございます」
「俺の?」
「はい。明日は待ちに待った婚約者のアンジェ様をお迎えする日です。そんなめでたい日に肝心のリューク様のお顔はとてもめでたくないです」
「いや、めでたい顔ってなんだよ」
「その顔ですよ」
むっ、としながらリュークが言い返すと、すぐに答えが返ってきた。
ずい、と指を刺された先は、自分の目の下辺りだ。
「その隈です」
「隈」
「なんと大きな隈をこさえて・・しかもその顔色はなんです。白を通り越して青白いですよ」
「うるさい」
まるで母親のような言い方についぷいっ、とリュークは顔を逸らした。
だが、ノックスの説教はまだ止まらない。
「だいたい、明日が大切な日だというのは前々からご存知だったでしょう。なのにここ一週間、ほぼ徹夜、食生活の乱れ、運動不足。はぁぁぁ全くジオルド家当主として嘆かわしいです」
「お前は俺の母親か」
「こんな大きな子供、持った覚えはありません」
「いやそこじゃねーよ。お前男だろ。産めるわけねーだろ」
「気合があればいけますよ」
「いけるわけねーだろ、ってかなんの話だ」
「ああ、そうです。我らの主は大変世話の焼ける、という話ですね」
「我らの?」
ん?と、リュークが首を傾げると、
「使用人一同からの贈り物でございますよ、このお薬は」
「そう、なのか」
聞けば使用人、特に厨房を任せているマカサがノックスの次に主の食生活を心配していた。
そして、ほかの使用人らと相談した結果、紅の魔術師に一晩で体力や健康状態を回復させられる薬を依頼したのだ。
国随一の魔術師への依頼のため、高価な値段だったが、みんなで少しずつ出し合って購入したという。
「そ、そうだったのか」
リュークは、疑った自分がなんだか恥ずかしくなり、照れを隠すように飲み物を口に含んだ。
一口目に飲んだ味より、今飲んでいる物のほうがとても甘くて、そして温かい気持ちになった。
「ノックス、その、ありがと。みんなにも明日きちんとお礼をいうよ」
「いえ、私は主に仕える者として当然のことをしたまでなので」
照れで耳が赤いリュークを微笑ましく思いながら、ノックスは部屋を出るために簡単に片付けを行った。
そして、扉を開けて廊下に出る直前に、まるで今思い出したかのように、小さく言葉を漏らした。
「そういえば、もう一つ、薬をいただいておりました」
「ん?また体調系の?」
飲み物の入ったソーサーを少し傾けて、問いかける。
すると、ニヤリ、と楽しそうに目を細めながら、ノックスが口を開いた。
「精力剤です」
「?!」
んぐっ、と喉から引き攣ったような音が漏れる。
慌てて持っていたソーサーを机の上に置いて、ギッとにやにやと笑うノックスを睨めつける。
そんな殺意のこもった視線など、気にも止めずになおも続けた。
「明日は、ようやく、ようやく待ちに待った婚約者様がこちらの屋敷に住われる日でございます。我ら一同、この日をどれだけ待ち望んできたことか・・・そして、体調万全にして頂いたあとは、子作りでございます」
「?!」
メイド長のアリサが言っていた、将来安泰というのはこのことか!と、言葉を失った。
石のように固まる主を知り目に、ノックスは恭しく頭を垂れて、部屋を出て行った。
婚約者を迎える前日の夜に、先程とは違った悩みを抱えることとなったリュークは、果たして彼らの思惑通り、万全の体調で明日を迎えることができるのか、どうかは、知る者はいない。
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