結婚式

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結婚式

 熟れた林檎のような唇をした花嫁は、私と目が合うと、幸せそうに微笑んだ。純白のドレスが、幾度か輝く唇を映えさせる。午後十時過ぎに降り注ぐ朝日は、傷一つない大きな窓に吸い込まれて、披露宴を照らした。それほど強い光ではないはずなのに、目が眩んで思わず目を閉じた。瞼には、昨日切ったばかりの短い髪を揺らす、美しい花嫁が焼き付いていた。一束ずつ交差する黒髪は、とおい昔にプレゼントした、お揃いのアネモネの髪止めをしっかりと挟んでいる。 「遥、結婚、おめでとう」  私は、満面の笑みで、思ってもいないことを口にする。精一杯出した高い声に、不機嫌そうな顔を隠した複雑な姿。それでも私は、自身の美貌を生かした立ち振る舞いを完璧にこなした。力強く噛み締めた歯が、奥の方から痛む。  こんなところ、来るべきではなかった。重たい空気が部屋中に漂った今朝、何度かどこか遠い場所に逃げてしまおうか、とくだらないことを考えた。だけど、後悔と同時に押し寄せる感情は、あきれるほどの恋慕の情で、やっぱり晴れ舞台を焼き付けたいという欲に負けてしまったのだ。  私は両手を後ろに隠し、爪で両腕をひっかきながら、いつもの調子でまた思ってもいないことをつげた。 「その、短い髪も綺麗だよ。とっても、似合ってる」  私の最愛の妹、遥は、ぎこちなく頷いて、慣れない短い髪を指で弄りながら、口元を緩ませた。均等に巻かれた前髪の毛先が、漆黒のマスカラで増した重い睫毛と一緒に、ゆっくりと揺れる。可愛らしくて、だけど何処か弱々しい存在感。その姿は、無垢そのものだった。私は可笑しくなって、笑いながら、「本当に似合ってるよ」と声を震わせながら呟いた。だけど耳に届いた自分の声は、湿っていて、今にも泣きそうな声だった。私は不思議に思って、鼻をすすった。 「おねぇちゃんこそ、今日は一段と綺麗だよ」  遥はどこか幼い子どものような、若々しい少女と変わらない地声で私をいつものように褒めた。  今日の私は、いつもよりずっと美しい。だって、私の妹が先月、選んでくれたドレスなのだから。私は、白い羽織りが映える、漆黒のドレスを見にまとっていた。それだけではない。何の変哲のないドレスは、妹が腰回りに縫ってくれた細かいレースでおまじないがかかっている、特別なドレスになっているのだ。 「ありがとう、遥」  聞き慣れた褒め言葉に、作り慣れた笑顔で、うつくしく微笑む。私は、これが、一番の武器だと知っている。それを知って、私はこの顔を長年作ってきたのだから。
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