1・我が家の同居人

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◆  それから二年が過ぎた。  十歳になった彼女は、既に俺と同じレベルのクラスまで上り詰めていた。この速さで特待クラスに入るなど異例中の異例。生徒だけでなく、インストラクターたちも皆、レイのダンスの才能に圧倒されていた。  真面目に練習に取り組むだけでなく、彼女には生まれながらにして才能がある気がした。  ダンススクールでは色んなジャンルを教えてもらえるのだが、レイは中でも『ガールズヒップホップダンス』に夢中になっているようだった。同年代と比べて背が圧倒的に低いが、なめらかな動きと表現力は他の誰にも負けない魅力がある。  ダンス仲間たちは、彼女のダンスにすっかり魅了されていた。    ある日のレッスン後。俺は、スクールのエントランスでレイが着替え終わるのを待っているところだった。母の頼みで仕方なく一緒に帰らなくてはならないんだ。  あいつはなぜかいつも支度が遅い。  暇をしていると、クラスで二番目に若いメイリーが声をかけてきた。 「ヒルス。今日もお疲れ様!」 「ああ」 「これからスケートの練習に行くの」 「いつも大変だな」  メイリーはダンサーでありながらフィギュアスケートにも通っているらしい。十二歳の頃に特待クラスに入れただけあって、センスはなかなかあると思う。  ライトブルーに光るセミロングの髪をいじりながら、メイリーは何となく暗い声になる。 「ねぇ、最近来たあなたの妹。レイちゃんだっけ」 「あいつがどうかしたか」 「すっごくダンス上手いよね。新しい曲もすぐ覚えちゃうし、アレンジも効くし、動きが綺麗だよね。さすが、ヒルスの妹って感じ」  まあ、血は繋がってないただの同居人なんだけどな、とは言えず俺は黙って頷く。俺たちの本当の関係を知っている人は家族以外にいない。レイ本人すらも、血の繋がった普通の娘だと思っている。  実の妹なら褒められて嬉しくなるのかも知れないが、正に俺の今の感情は『無』に近い。  話をしていると、突然後ろからごつい手で俺の肩を掴んでくる奴が現れた。 「お前の妹は可愛いよなぁ!」  俺と同じ時期にスクールに通い始めたライクだ。腕に入れ墨を入れまくっていて、いつもサングラスを掛けてる。そのせいで素顔が全く分からない。柄が悪い雰囲気がどうしても苦手だ。  本気か冗談か分からないライクの言葉に、俺は首を捻る。 「あいつが可愛いだと?」 「アニキにはレイちゃんの魅力が分からねぇのか。スクール内でも狙ってる奴、結構多いぜ」 「はぁ? 笑わせるなよ。ただのガキだろ」 「変な奴が近づかないよう見張ってた方がいいぜ、ヒルス。レイちゃん、ダンスが上手いだけじゃなくて性格もいいし顔も可愛いし、誰にでも愛想良くするしな。将来が楽しみだぜ!」  低い地声でライクはニヤニヤしながら言う。戯言だと確信した俺は、適当に笑いながら受け流した。  その横で、なぜだか不機嫌そうに頬を膨らませるメイリー。 「ここにもいい女はいるんですけどねぇ」  こちらを見ながらそう訴えてくるが、俺はもはや無反応。ダンスは出来る奴らだが、絡むと本当に面倒くさい。  適当に二人をあしらっていると、着替え終わったレイがやっと玄関から顔を出す。 「帰るぞ」  俺はそそくさとその場をあとにした。  ――でも、皆の言う通りだ。たしかにレイはダンスが上手い。なんというか技術やセンスももちろんあるが、彼女自身が踊るのを心から楽しんでいるのが伝わってくるんだ。周りの人たちの目を自然と引きつける力が彼女のダンスにはある。  レイがスクールに通う前まではほとんど会話をしない俺たちだったが、今ではダンスのことになると時間を忘れて話が盛り上がるようになった。更にレッスンが休みの日であれば、自宅の庭で一日中二人で練習に打ち込むことさえある。  俺にとってただの同居人だったレイが、少しだけ近い存在になった気がする。  その日の帰り道。  道路の側面に広がる田園風景は夜の影に隠れてしまっているが、緑の香りが俺の嗅覚を少しだけ癒してくれた。  オレンジ色の灯りに照らされたハニーストーンの家々は、夜の町をいつでも彩っている。  そんな静かな道路の上で、俺は景色を眺めながらバイクを運転していた。  赤信号に捕まったところで、後ろに乗るレイがそっと声をかけてくるんだ。 「あのさ、ヒル兄」 「なんだ」 「私ね、今度大会に出ることになったよ」 「本当か」 「うん。ジャスティン先生が十五歳以下の個人戦に出てみないかって薦めてくれたの。ロンドン市内の小さな大会だけどね」 「先生からの推薦か。大したもんだな」 「どうしよう、緊張するなぁ」 「いつも通りに踊ればお前なら大丈夫だろ」 「失敗しないかな?」 「失敗しないくらい必死に練習しろ」 「うん。じゃあ、ヒル兄。一緒に練習付き合ってくれる?」 「仕方ねぇな、俺がしごいてやるよ」 「えっ、いいの? ヒル兄は誰かにダンスを教える立場じゃないって言ってなかった?」 「……お前が大会に出るなら話は別だ」 「やった! 嬉しい」 「言っておくけど、やるからにはとことん厳しくするからな」 「はい、分かりましたヒルス先生!」  明るい声でレイは頷くと、後ろから俺の腰に手を回してギュッと抱きついてくる。  全く、すぐに調子に乗る奴だな。  俺はフルフェイスの下で、密かに笑みをこぼした。  再びアクセルを捻り、石造りが連なる住宅街を二人が乗ったバイクは風を切って駆け抜ける。
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