1・我が家の同居人

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 ――帰宅後も、レイの表情は固いままだった。  リビングのソファに座りながらイヤホンで音楽を聴くレイの目線は、完全にどこかへ飛んでしまっている。  俺が隣に座ると、彼女はハッとしたようにこちらを向きイヤホンをそっと外した。 「まだ寝ないのか」  出来るだけ柔らかい声で言うと、レイは小さく頷く。 「眠れなくて」 「緊張してるんだな」 「ソロでステージに立ったことがないから……」  今まで無我夢中で踊りまくっていたレイが、珍しく弱音を吐いている。  お前なら大丈夫、と励ましたいところだが、初めての個人大会はしぬほど緊張してしまうのは俺も経験済みだ。それでも、レイならやりきれると信じたい。  そっと彼女の頭を撫でてから言葉を向ける。 「思い出せよ。あれだけ必死になって練習してきただろ」 「そうだね……」 「それにソロでステージに立つと言っても、お前は一人じゃないからな」 「えっ?」  レイは首を傾げながら俺の顔を見上げた。 「俺は明日ステージには立たないけど、気持ちだけはレイのそばにいる。もし不安になったら、俺の顔を見ろ。緊張も心配ごとも全部吹き飛ぶように念を送ってやる」 「うん……」  小さな声で頷くと、くすりと可愛らしく笑うんだ。 「ねえ、ヒル兄」 「うん?」 「すごく、優しいんだね」 「……はっ?」 「今までヒル兄は私のこと全然気にかけてくれなかったのに。今は、不安で仕方がなかった私を慰めてくれてるんだよね。だから、とっても嬉しいよ」  透き通った瞳で俺を見つめながら、レイはそんなことを言うんだ。  なんとなく小恥ずかしくなってしまい、目を逸らして小さく唸る。 「別に。優しくしているわけじゃない。お前が本番でも良いダンスが披露できればいいと思っただけだ」  頬を熱くする俺の隣で、レイは笑顔を崩さない。 「分かった。ヒル兄が私の為にたくさんアドバイスもくれて、応援してくれるから頑張るね。明日はきっと良い結果を残してみせる」  先ほどまでのレイとは打って変わって、今は自信を取り戻したようにさわやかな表情になっていた。  ――思わず否定するような言いかたをしたが、レイに言われたことは本当だ。以前の自分とは違い、いつの間にか彼女を気にかけるようになった。今回の大会のことももちろんそうだが、別の件でも彼女がもし悩んだり不安に思うことがあれば、俺はきっと手を差し伸べるだろう。  この気持ちは、あくまで義理の兄としてなのか、家族としてなのか、それともレイ個人のためを思ってなのか、今の俺には知る由もない。  レイの方に視線を戻し、俺はもう一度口を開いた。 「大会が終わったら、飯でも食いに行こうか」 「えっ、いいの?」 「ああ。お前が本番でやりきったらな」 「それって……入賞しないといけないなんていう条件あったりする?」 「それよりも、本番でどれだけ全力で踊れるかが重要だ」  両腕を組み、俺はにこりと笑ってみせる。 「全力で踊れば良いの?」 「今まで頑張ってきたことをフルに出せたら飯に連れていってやるよ」 「それじゃあ、この前行ったショートケーキが美味しいお店に行きたい」 「まさか『シャルル』のことか? あそこの店、結構いい値段するんだよな……。しかもお前、スウィーツのことしか考えてないだろ」 「だって『シャルル』のショートケーキ大好きなんだもん。頑張ったら奢ってくれるんだよね?」  レイはにやにやしながら、いつもの調子に戻ってきた。  バイト代の半月分くらいは飛んでしまうが、レイが頑張れるなら安いものだ。 「分かったよ。成功したら『シャルル』に連れていってやる」  俺の言葉を聞くと、レイは目を細めた。それから勢いよく抱きついてくるんだ。 「だったら私、頑張れる!」  テンションが上がっている様子の彼女は、なかなか身体を放してくれない。だけどなぜだか――俺はこのとき、嫌な気持ちにはならなかったんだ。 「……お前ならきっとやれるよ」  俺は自然と彼女にそう囁いた。 ◆  こうして迎えた本番当日。レイは舞台裏で少しばかり表情が固くなっていた。  そんな彼女の肩をそっと掴み、俺は笑みを向ける。 「深呼吸して。大丈夫だから」  優しく俺がそう言うと、レイは小さく頷いた。 「今日は全力で踊りきって『シャルル』に行くんだろう?」 「うん、そうだね……ヒル兄と約束したもんね」 「俺が『シャルル』のケーキを奢ってやるなんてなかなかないからな」  俺たちが会話を交わしていると、応援にきていたライクが急に横から割り込んできた。 「レイちゃんはケーキが好きなのか。だったら、おれが連れて行ってやろうか?」 「えっと……ライクさんがですか?」  レイは少し困惑したように苦笑する。  思わず俺はため息を吐いた。 「どうしてあんたがレイを飯に連れて行くんだよ」 「だってレイちゃん、いつも頑張っているだろ。オレがご褒美に旨いケーキをご馳走してやるよ! そのあと『北の高台』にも連れて行ってやるぜ」 「はあ?」 「ほら、あそこの景色すげえ綺麗なんだろ。レイちゃんに見せてあげたいぜ」 「馬鹿じゃねぇの。こんなガキとデートでもする気か」  我慢ならず、俺は声を荒らげる。冗談でもそんな提案しないだろう、と。  レイはずっと黙り込んでいる。「ノー」とはっきり言えばいいのに、彼女は俺とは正反対であまり人にものを言えない性格だ。 「あんた、まじでキモいぞ。やめておけよ」 「別にいいだろ。なあレイちゃん?」  ライクはニヤニヤしながらそう言うが、レイは戸惑ったような表情をして何も言えなくなっていた。 「――そろそろ本番だよ! レイちゃん準備して!」  助け舟を出してくれたかのように、タイミングよくジャスティン先生の声が聞こえてくる。  元気よく返事をすると、レイの表情がたちまち変わった。  ――ダンサーとして切り替わる瞬間だ。    初めての大会で緊張してしまうのは誰でも同じこと。もし失敗しても、今まで頑張ってきたことが重要なんだ。だから今日は結果にこだわらず、ステージで全力で踊りきってほしい。
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