1・我が家の同居人

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 俺の中の心配なんてつゆ知らず。ステージに立つなり彼女は緊張した様子を見せることなく、むしろ堂々としていた。舞台裏でレイを見守っていると、一瞬だけ彼女がこちらに視線を向けてくる。小さく俺に頷きかけると、再び観客席に目線を戻した。  もはやプレッシャーや緊張などというものは、完全に消え失せたようだ。  レイが華麗に舞う時間が訪れる。会場中の空気はあっという間に変わるんだ。  モラレスという世界的アーティストの曲『SHINING』が、ステージ上の彼女と共に異色の世界を作り上げていく。 【雨が降っても、風が吹いても、涙を流したあとは前を向こう。晴れの日は必ずやってくるから】  アップテンポでクールなラップミュージック。ハスキーボイスで奏でられる歌詞は、とても前向きなものだ。  ステージのライトを浴びながら、レイはテンポを刻む。ダンスを始めて三年目とは思えないなめらかなムーヴ、きらきらした表情、全くずれないテンポ。会場中が彼女のガールズヒップホップダンスに心を奪われていった。無論俺も、その中の一人。小柄ながらも全身をしなやかに、そして機敏に動かし、指先の一本一本まで惜しみ無く美麗な舞いを輝かせていたんだ。    気分が高まりながら彼女のダンスに釘付けになっていると――メイリーが俺の隣に現れ、声をかけてきた。 「レイのダンス、凄い迫力だね」 「ああ。俺も感心したよ」  メイリーは俺の前に立ち、作り笑顔のような表情でこちらを見上げてきた。 「ねぇ、ヒルス。あたしもこの後、本番なんだよ」 「知ってるけど」 「応援してくれる?」 「まあ、同じスクールに通う仲間だしな。応援するのは当たり前だろ」 「ほんとっ?」  メイリーは急にぱっと顔が明るくなった。 「じゃあさ、あたしがこの大会でいい成績を残したら……ご飯に連れて行ってくれない?」 「えっ」 「上位三位以内に入ったら美味しい所連れて行ってよ。約束してくれたら、あたしもっと頑張れる!」  急な話に俺は思わず顔を歪める。  それは飯を奢れ、ということか?  これからレイを『シャルル』に連れて行く約束がある。間違いなくあいつは食べたいものを好きなだけ食べるだろうから、今日で俺の財布は悲鳴を上げる予定だ。  じっとこちらを見つめるメイリーにどう対応しようか迷いながらも、どうにか口を開く。 「飯なら……そうだ、ライクに連れて行ってもらえよ。あいつならケーキが美味い店も知ってるし、ついでに北の高台に連れていってくれると思うぞ。俺なんか、その辺のパブくらいしか知らないし」 「えー。あたしはヒルスと行きたいのに!」  引き下がる様子のないメイリーに俺が頭を抱えていると――ちょうどレイの出番が終わり、大歓声の中ステージからはけてくるのが目に映った。 「レイ、お疲れ!」  大袈裟なほどの大きい声を出して彼女を迎える。  清々しい顔をするレイの額からは汗が流れていた。俺はさりげなくタオルを手渡す。 「ありがとう。ヒル兄。今日のダンスどうだったかな」 「言うまでもない。今までで一番きまってたよ」  その言葉を受け取った彼女は、たくさんの花を咲かせるように表情を輝かせた。満足度がひしひしと伝わってきて、俺もつられて心が踊る。 「このあと、メイリーさんの出番もあるね。頑張ってください」  レイが爽やかな口調でメイリーに声をかけるが、応援の言葉を受け取ったはずの本人はなぜか仏頂面になった。厳しい目を向けると、メイリーはどことなく乱暴な返事を投げつけるんだ。 「あたし、レイには負けないからね。今日は上手く踊れたかもしれないけど。もしもっと大きなステージに立つことになったら、雰囲気もまるで違うから。今日のダンスじゃまだまだよ」 「そうなんですね……アドバイスありがとうございます」 「別にアドバイスしてるわけじゃないから! 先生たちの期待を裏切るような真似だけはしないでよ」  本番前でメイリーはピリピリしているのだろうか。言いたいことを言ったあと、そそくさとその場をあとにした。 「なんだあいつ? イライラしすぎじゃねえか」 「……メイリーさんもきっと、頑張ってきたから良い結果を残したいんだよ」  レイは笑みを浮かべつつも、瞳はどこか寂しさが混ざったような色をしている。 「あいつのことは気にするな。俺はお前が踊ってる姿、嫌いじゃないよ」 「えっ?」  レイは目を見張り、俺のことをじっと見つめた。 「お前のダンスはクールで本当に綺麗なんだ」 「本当に……? ヒル兄にそんなこと言ってもらえるなんて嬉しい」  目を細め、レイは頬を仄かにピンク色に染めた。  ――自分でも驚いている。こんな褒め言葉を言う日が来るなんて。でも、それほど彼女のダンスは輝いて見えたんだ。  今まで感じたことのない心情が、俺の胸をあたためる。この気持ちは、一体なんなんだろう。 ◆  大会後。俺たちはなかなか帰路に足を向けられないまま会場の外でレイを待っていた。いつもの如く彼女の支度が遅いから、というわけではない。  大会の取材に来ていた地元の新聞社や雑誌の記者たちが、こぞってレイを囲んでいたんだ。当の本人はその状況に戸惑ったような顔をしながらも、ハキハキとインタビューに答えている。  応援に来ていた父と母は、その様子を少し離れた場所から眺めながら「レイの努力が実ったんだな」「さすがうちの娘ね」などと話をしている。  ――正に俺も同じ気持ちだ。  レイは本当に凄い奴だと思う。  この日、彼女は三位入賞という素晴らしい成績を残してくれたのだから。
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