噛み跡

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 わたしの言葉を聞いて、おじさんは少し驚いた顔をする。 「よくわかったね」  差し出された写真は、わたしの手。  たくさんの歯形がついた手が、写っている。その歯形は、おじさんがつけた。噛まれている時、いやらしさなんて微塵も感じなかった。あんなにたくさんつけられたのに。 「今まで、ありがとう」 「こちらこそ」  最後にわたしとおじさんは抱き合った。ハグ、とも、抱擁、とも少し違う、触れ合い。今思えば、用件のない触れ合いをしている。初めて触れたおじさんの温もりは、知らない人のものみたいで少し驚く。  離れた時、行かないで、と言ってしまいそうになる。自分でもなぜそんなことを言いたくなるのかわからない。だけど、離れたくなかった。おじさんがわたしに背を向ける。その瞬間が怖かった。  でも、これが、最後、最後。  わたしたちは、何もない。始まってないから、終わりもないはずなのに。  さようなら、なんて、誰が作った言葉なんだろう。 「名前のない関係」  そう、わたしとおじさんはそんな関係だった。ああ、痛い。今、とても、手が痛い。おじさんに噛まれた、噛み跡が、ひどく痛い。  ねえ、名前、教えてよ。わたし達はあともう少しだけ一緒にいたら、少しはお互いを知ることができたんだろうか。
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