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私は、その時、艦橋を駆け降りている最中だった。強い衝撃が艦橋を襲ったが、艦橋はびくともしなかった。だが、上から轟音が聞こえた。その時、私は艦橋を駆け上がりはじめた。艦橋頂上にある、第一指揮管制室は大きく破壊されていた。窓ガラスが割れて、一部は溶けていた。機器が根本から千切れてそこらじゅうに転がり、計器の針があり得ないところを指し、融解しているものさえあった。艦長席は見るも無惨に破壊されていて、それが椅子であったということは、何一つ読み取ることができないような状態になっていた。車椅子は機器と計器類に埋もれて、その時は取手以外見えていなかった。艦長は、そんな吹き飛ばされたであろう機器や計器類、艦長席、車椅子に埋まっていた。だからだろう、最初は誰もが思った。遺骨すら残さず逝ってしまった、と。そして、発見が遅れた。だが、それでも何かを探そうと第一指揮管制室を探し回った。舵輪をひっくり返し、壊れたレーダー用の計器を無理やりどかし、艦長席を投げ捨て、そしてまず見つかったのはひしゃげた車椅子の一部だった。右の取手と皮の一部、車輪の一部が見つかった。そして、ジャイロコンパスをひっくり返し、航海用レーダー機器をどかして、やっと艦長が見つかった、その様子は今でも覚えていいる。とても酷かった。車椅子のタイヤの溶けたゴムや融解した計器の金属が付着し、左目を焼いていた。背中は火傷がひどく、一部は溶けた軍服がくっつき、簡単には離れなくなり、車椅子の左の取手が深々と脇腹に刺さっていた。正面からは、吹き飛んだ窓枠の一部が腹に深々と突き刺さり、割れたガラスや砕けた金属の破片が身体中を切り裂き、体を貫通し、身体中の刺さっていた。その切り傷を炎が焼いて止血し、その上でさらに重い火傷が正面にあった。こんな状態で肺と心臓、首にに損傷がなかったのは奇跡に等しかった。彼女は死んだも同然の重傷を負った。私たちは仇を取るために、敵艦隊とより一層激しい戦闘をした。その後は悲しみに暮れた。
大戦海戦記 〜海軍軍人として英雄はどう生きたのか〜 第五章より抜粋
河野幸子・著
日本・イギリス・フランスの超大連合艦隊はドイツ・イタリア・ソ連の大連合艦隊に多少の損害を出しながらも勝利した。このことはすぐに世界を駆け巡った。これによって、自由主義陣営が大西洋の覇権を得た。しかし、帰港した艦隊の空気は重く、鬼気迫る空気と、お通夜のような空気が混じっていた。
「刺さったもの及びガラス片、金属片の摘出は終わりました、今は火傷と張り付いた衣服の切除、穴の空いた臓器の縫合を行なっています、我々は全力を尽くしますが、それでも、意識が戻るかどうかはわかりません、ですが、ほとんどの場合、戻ることはないでしょう」
「そう…ですか…」
「我々も、彼女の活躍は聞いています、ここで死んでしまうのはとても、とても惜しい、だから、祈りましょう、神もきっとこういう時くらいは信心が無くとも、答えてくれるはずです」
「そう…ですね、私にできることは祈ることと殺すこと、守ることだけですから…こういう時くらいは祈ってみましょうか…」
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