2 事の顛末

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 午後四時半頃、家政婦の俣野さんが帰り支度を済ませ、我々に挨拶をしに来た。 「料理は人数分あるので、好きなときに召し上がって」という声に、私と柳は自然と感謝を口にした。ソファーで新聞を読んでいた正一は立ち上がり、リビングの入り口のドア枠から顔を出して、俣野さんを見送った。  停滞した空気の中、誰かが動き始めると、その場の残りの者たちも示し合わせたように次の行動に移る。そういった生き物の(さが)、あるいは呪縛のようなものには青人も逆らえなかったらしい。彼もまた立ち上がり、我々に向かって言った。 「じゃあ、約束のものでも見せようか」  青人の言葉を聞いて、浮つく気持ちは急激に高まった。そのとき柳は当然のこと、私の目も爛々(らんらん)と輝いていたはずである。我々二人が勢い良く立ち上がったことで、椅子の脚が床に衝突し、がたごととうるさい音をたてた。 「劇薬もあるから」青人が我々の様子を見て、たしなめるように言った。「美術館みたいに、自由に二人だけで見せることはできないけど」  青人は『約束のもの』を見せるために、我々を従えて廊下に出た。そして階段の裏に回り、床板にはめ込まれた小さな取っ手に手をかけた。その青人の所作を眺めることで、我々はまたもや驚かされることになった。 「地下室あるの」私が訊くと、後ろについていた正一が答えた。 「ガスが溜まると良くないから、最初私は反対したんだけどね。青人と莉緒の熱意に負けてしまって、それと特に、青人の研究成果にはやはり説得力というものがありましたから、二三年前だったかな、私が地下に薬品庫を作ってやったんです」  私と柳が、へえ、と感心する間にもう、青人は床板を外して、地下へと続く階段を降りようとしていた。我々はそれを見てすぐさま向き直り、足を踏み外さないよう慎重に、真っ暗な階段を下っていった。  中はひやりとしていて、なお且つ、家に入ったときに嗅いだあの化学的臭気で満たされていた。青人が手探りもせず壁のスイッチを入れると、薬品庫の様子が目の前に現れた。  まず何も目に映らないことで、私は拍子抜けする思いでいた。立ちすくむ我々の数歩先には、真っ白いカーテンが横一線に引いてある。私たちのその感情を察知したかしなかったか、青人は部屋の端まで行き、ゆっくりとカーテンを開けた。  徐々に(あらわ)になるその光景を目にして、私と柳の嘆息が、まるで密度の大きい気体のように足元へこぼれ出た。カーテンの向こうには、幅のある大きな木製の棚が置かれていて、そこに金色のトロフィーがいくつも並んでいる。気付くと私たち二人は早足で歩み寄り、まさに美術品を前にするようにそれらをしげしげと眺めていた。  最も古いものの土台に刻まれた西暦は、私たちが小学校低学年の時分に相当した。さらに詳しく見ると、それには「ジュニア自然科学コンクール金賞」と記されている。 「そのコンクールがあったのは」正一の顔を見ると、心底得意気であった。「たしか、青人と莉緒がまだ小学二年生のときでしたよ」  そう言ってからも正一は、一つ一つのトロフィーにまつわる自分の子供たちの業績を、まるで自分のことであるかのように嬉々として語った。聞いているうち私は、それまで漠然ととらえていた青人との差を初めて定量的に示されたように感じ、畏敬(いけい)の念に近い感覚を覚えた。  柳はというと、純粋に好奇の目を向けているらしく、正一の説明に合わせて順々に、それぞれの賞杯へ視線を移していった。 「これ知ってる」突然、柳が興奮気味に言った。それに釣られ、私も彼の指先を追った。  柳が指さした杯には、「全国高校生化学実験大賞優秀賞」と書かれたリボンが(くく)りつけられている。 「これ、あれだ」記憶を刺激されたことで、私も声を張りあげた。「高二のとき、青人が部活で見せてくれたやつだ。たしか、市販薬に色んな食べ物の成分を混ぜて、相性のいいものとそうでないものに分類したんだよ」 「そうそう。覚えてる、覚えてる」  我々は、予期せず有名人を目撃した中学生のように、高まった感情をそのまま口にし合った。ただし青人は照れ隠しのためか、または本当に興味がないのか、我々の熱狂に大した反応を示さず、さっさと棚の裏へ姿を消してしまった。
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