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「なんや、その顔。情けない負け犬みたいな顔して。シャキッとせいや」
高岸の声は大きい。
俊輔は、モーレツな恐怖に襲われて、くるりとステージ上を見やった。案の定、社長が真っ赤な顔でこちらを睨んでいる。
「なんや、オマエ、今頃、ノコノコと。遅刻してきたんか? ええ度胸しとるやないか?」
高岸が、細い目をしてステージ上を眺めた。アゴヒゲを一本、二本と引き抜き、床に捨てる。
周囲の社員たちは、心配そうな顔で、チラチラと高岸を窺っている。
「ええ度胸? どっちかっていうと、小心者ですよ。ナイーブなの。すぐにでも壊れそうなガラスの心なんすよ。こんな大勢の前で、いじめないでください。はずかしいなあ、もう」
高岸が頭をかきながら、片方の口角を上げて言った。
「ふざけんな、どの口が、そんなことほざくんだ!? オマエ、ワシをなめてんだろ!?」
「いやいやいやいや。なめてないっすよ。本当に社長ほどの度胸、持ってないっすから」
「あ?」
「社長、今、何人か、社員を解雇したでしょ? そんなことしたら、労基署が飛んできて、下手したら、檻の中にいれられますよ? オレには出来ないなあ、あんなこと」
「ハハハ。世が世ならな! 今は許されんだよ! オマエも、クビにされたいのか? ワシにそんな態度を取りやがって」
「いやいやいやいや、クビにされたいように見えます? 全く見えないでしょ? 社長、被害妄想じゃないですか? 献身的な態度ですよ、オレはいつも」
「献身的? ワシの朝会に遅刻してきてか?」
「ああ、そうか、遅刻の理由、言ってなかったっすね」
「遅刻の理由? 言い訳したいのか?」
「言い訳じゃないっす。本当の理由っす。オレ、神棚に飾ってある社長の写真を毎日拝んでるんすけど、そこにハエがたかっててですね、今朝……」
「はあ?」
「すぐに飛んでいったんですけど、社長の顔写真にとまるなんてけしからん、必ず成敗してやるって、そのハエをずっと追っかけてたんです。逃がすものかと、家を出て、ゴミ置き場まで行って、なんとか殺虫剤で仕留めたんです。写真といえども、社長に恥をかかせるなんて許せませんから」
「……オマエ、何を言ってるんだ?」
「いや、いかにオレが、社長に献身的かってことですよ。遅刻した理由っす。献身的すぎちゃいまして」
「ハハハ。いいな、高岸~。とんちがきいてて、いいぞ。実に面白い奴だ。もう少しだけ、延命させてやるわ。ありがたく思えよ。ハハハ、愉快、愉快」
社長は、みかんを口に放り込む。両側に付き添っている秘書にも、みかんを配り、ステージを下りた。
二人の秘書は、カクカクとぎごちない動きで、みかんを口に入れ、社長の後に続く。
俊輔は、秘書の二人は、AIロボだと聞いたことがある。機械的な動作でそれだと分かるが、それは旧式だからだ。最新のAIロボは、人間と見分けがつかなくなっている。
(なぜ、社長は、旧式のAIロボを秘書にしているのだろう? 最新のものにすればいいのに……)
「おい、職場に行くぞ」
高岸に肩を叩かれ、俊輔は我に返った。
「あの、高岸さん……」
「ん? なんだ?」
「さっきの遅刻した理由って、本当なんですか? 社長の顔写真にとまったハエを追いかけて遅れたっていう」
「は? 信じてんの? オレが、あんなブサイクの写真、飾るわけないだろ。最初に俊輔には、遅刻した理由を言ったろ?」
「え?」
「寝坊だよ。ただの」
社長が去った後の講堂は、暴動でも起きそうなくらいに、ざわついていた。
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