それぞれの事情

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それぞれの事情

店の昼休憩時間、美波は店内の座敷でご飯を食べていた。 「しかしさあ、全くなんで美波が辞めさせられなきゃならないのよ」 あれから1週間がすぎていたが、美浜の怒りは消えない様だ。 「だいたいあの所長、もう信用ならないわね」 「お前、食べるのか、しゃべるのか、どっちかにしなさいよ」 父親の尊は眉をしかめ、白飯を口に運んだ。 「照之くんも冷たいわよね、慎一郎の友達だったのに、何もいえなかったのかしら、ほんとうにもう」 照之というのは、乗馬クラブの所長の息子のことである。 「テルさんは良くしてくれたよ。無償で乗馬させてくれていたし。このことで何度も電話してくれた。謝ってばかりで可哀想だった」 「そうだけど美波、出勤当日に解雇なんて裁判ものよ」 そういって美浜は自慢のからあげを頬張った。 「ところであの子はどうしたんだい?クラブで働いているのかい?」 食事中、珍しく美紀子が口を開いた。 「ん、わからない」 「連絡先は知らないの?」 尊が聞いた。食事も終わり、お茶をすすっている。 「うん、聞いてなかった」 「わたしも、お父さんも聞き忘れたのよね」 「店の電話があるし、なんかあったら連絡あるでしょう」 ごちそうさまといって美波が立ち上がろうと中腰になると、店の扉が開いた。 「こんにちは」 顔を見せたのは凌馬であった。土産の紙袋を何個も持ち、申し訳なさそうに 覗いている。 「おお、凌馬くん。いま君の話しをしていたところなんだよ。ささ、入って」 「ご無沙汰して」 「いいんだよ、いいんだよ。元気ならいいんだよ」 尊は凌馬の肩を抱いて、自宅の方へと連れて行った。 凌馬に出すお茶は美紀子が煎れてくれた。美紀子がいうには、昔馴染みが送ってくれる特別な狭山茶だという。なにせ離島は送料が高い。 「美味しいお茶ですね」 凌馬がいうと、美紀子はいえいえと少女の様に照れていた。 片付けが終わった美浜と美波がやってくると、凌馬は美浜に3つの土産を渡した。それぞれ違う店のお菓子だという。見た目から高そうな品と察しが付く。 「こんな気を使わないで、なんにもしてないのに」 美浜は袋の中身が見たくて仕方がない様子。ソワソワと居間を出て行った。美波も一緒に出ようとしたが、父親に呼び止められ残った。 仏壇が置かれているこの居間には縁側があり、和の雰囲気を醸し出している庭が目を惹く。 「前から思っていたのですが、この庭園はお父様がお造りになられたと」 「いやいや庭園なんて代物じゃありませんよ、恥ずかしい。ただ獅子落としを置いただけで。しかし油断するとすぐにうちの婆さんが腰巻を干したりするんで。獅子落としにだよ」 「腰巻ですか、それもまた昭和な感じでいいですね」 「そうかな、いやー、婆さんの腰巻じゃあね」 「なんの話をしてるんだい!」 襖を挟んで隣の部屋にいる美紀子が叫んだ。 「どう、島の生活は」 尊は話しを変えた。 「きょう着いたばかりなので、まだなんとも」 「あれ、先月じゃなかったの?もう乗馬クラブで働いているかと」 「実家の事情がありまして、来るのが伸びてしまったんです」 「そうだって、美波」 「えっ」 部屋の隅の方で正座をしていた美波は、急に自分に振られたので驚いている。 「そっそうなのですか」 「美波ちゃん、何か印象かわった?」 座布団に正座をしている凌馬が身体をこちらに向けたので、美波の緊張は一層、高まった。 「たぶん、め」 美波は眼鏡をかけていないことを教えるため、フレームをつかむ仕草をした。 「ああ、眼鏡ね。コンタクトにしたんですか?」 「あ、はい」 「この子ね、自転車で転んじゃって、その時に眼鏡が歪んでね、いま新しいのを作って貰ってるんだけど、これがひと月かかるんだよ離島だから」 尊は元々下がり気味の眉尻を更に下げて語っている。 「裸眼もすてきですね」 「いえ」 聞き慣れない言葉をいわれた美波は下を向き、前髪と横の髪で顔を隠そうと、手で寄せ集めている。 「いまだけです。眼鏡が来たら眼鏡にします」 「いいと思うんですけどね、ねえお父様」 「確かになあ、眼鏡をすると、美波の魅力は半減するな。なんせ度近眼だからさ、目が小さく見えちゃうんだよね」 「あの、わたし」 極度の緊張状態になり、美波は部屋を出ようとしたが、そこでひとつ気になることを思い出した。 「あの、凌馬さん」 「はい」 凌馬は身体ごと、美波に向けた。 「いつから、美しの島乗馬クラブに」 「これから挨拶に向かうのですが、最初のバイトの日は1週間後です。そうだ、美波ちゃんも一緒ですよね」 「わたしは…」 「美波はね、内定取り消しになったんだ」 「そんな、どうして?」 初耳だったのだろう。凌馬は慌てていた。 「経営者が変わったらしいんだ。まあ詳しいことは当事者に聞いてみてよ」 そういって、尊は部屋を出た。手洗いに行くらしい。 「どういうことだろう」 尊は口元を片手で覆い、眉を寄せている。美波の不採用に、自分のことが絡んでいるのかと疑ってる様だった。 「あの、わたしのことはもういいんです。このお店、人手不足でしたし、このまま実家で働こうかと」 「すみません」 「なんで凌馬さんが謝るの」 「いえ」 凌馬は首を振った。 「あの、凌馬さん、馬の寧音って知ってます」 「うん、栗毛の牝馬?」 「そうです、その子が元気かなって、気になります」 「乗馬クラブに行ってないの?」 「忙しくて、なかなか行けなくて」 「そうなんだ。きょう行くから、様子を見てくるよ」 それを聞いた時、美浜が入って来たので、入れ代わりで、美波は部屋を出た。 「あの子、乗馬クラブで働くことを本当に楽しみにしていたから、本当にショックだったと思う」 美浜は凌馬の向かい側に座ると、凌馬の土産のプリンを出した。本物の卵の殻にプリンが入っている限定商品だ。美浜はパクパク食べ始めた。 「人員削減だというのなら、わたしも入れない筈なのですが」 凌馬は首を傾げ、頭を掻いた。 「これ、美味しいわね、凌馬くん食べな」 「あっはい」 凌馬はプリンの殻を持ち、スプーンを取ったが、なかなか食べようとはしなかった。 「あっ、凌馬くんが気にすることじゃないのよ。たださ、新しいオーナーっていうのがね、優子ちゃんのお父さんらしいのよ」 「優子ちゃんの?」 凌馬はプリンとスプーンを戻し、身体を乗り出した。 「うーん、そうなの。乗馬クラブは経営不振だったらしく、優子ちゃんの実家が買い取ったらしいよ。優子ちゃんは美波とは幼い時からの友達だし、なんとかならかなったのかなって勝手に思ってしまうのよ」 「優子ちゃんのご両親て、どの様なお仕事をされているのですか?」 「あら、知らなかったの?」 「いえ、ぜんぜん」 「面識は?」 「ありません」 「そうだったの?」 「なにか、おかしいですか?」 「いいえ、なんでもないのよ」 美浜は目を伏せた。美波は何もいわないが、凌馬と優子の関係は、ただの友達同士ではないと感じていた。少なくても、優子が彼に好意を持っているのは確かだろう。そして我が娘も同じ感情を凌馬に抱いている。 「あの、美浜さん。優子ちゃんのご両親との親交がおありで?」 「ちらりと見掛けるくらいかな?」 不思議だなと凌馬は思った。この島の住人は全体で3000人余りしかいない。島の中心地とは反対側になるここの地域に至っては、1000人も住んでいないだろう。住人の殆どは親族で、そうでなくても何かしら繋がっている。新しく移り住んだ人間の詳細も、事細かく知っている様な場所だ、それが見掛けるくらいの関係性とは。 「あっなんか悩んでるわね」 凌馬の表情を読み取ったのか、美浜はケラケラ笑い出した。本当に可笑しい時も、困った時も笑い出す癖が美浜にはある。 「いや、ここの人たち、みんな知り合いかと思っていたので」 そういって直ぐに凌馬は手を振った。 「すみません、悪い意味ではないんです」 「わかってる、わかってる。住人同士が密なことは、良いこともあれば、悪いこともあるのよね。わたしもさ、移住者だから」 美浜は口元に手をあて、ひそひそ話をする振りをしたが、声の大きさはそんなに変わっていない。 「そうそう優子ちゃんのご両親の話しよね」 美浜は座り直した。 「優子ちゃんのご両親は静岡の人でね、石油、不動産、リゾートなど、手広く事業をしているらしいんだけど、結婚してから長く子宝に恵まれなかったの。それで、確かご両親が40歳代の時、児童養護施設から1歳なったばかりの優子ちゃんを養子に引き取ったの」 「そうだったんですか」 凌馬は驚きを隠せない表情をしていた。 「そうなのよ、そうなんだけどさ、なんとそのすぐ後に奥さんが妊娠したのよ。だからといって養護施設に返す訳にもいかないでしょう。だけど、実際に子供が生まれると、やはり実子が可愛くなり、しかも生まれた子も女の子だったから尚更で。それでもお父さんの方は優子ちゃんを可愛がってたみたい。だけど、お父さんは仕事で殆ど家にいない。奥さんは実子ばかりを可愛がる。お父さんは、そんな優子ちゃんを不憫に思って、もっと愛情をそそぐ。それが奥さんは気に入らない、次第に奥さんは優子ちゃんをいじめるようになる。見兼ねたお父さんは、近しい部下の親戚にあたる人に、優子ちゃんの養育を託したというわけ」 「それが、この島だったのですね」 「そういうこと」 「可哀想に」 「そうね、可哀想なのよ。金銭面では優遇されていても、内面的には満たされていない」 「ぜんぜん知らなかった」 「言わないでね」 「言いません。言いません絶対に」 そういってうなずく凌馬を、美浜は複雑な表情で見ていた。凌馬は明らかに優子に感情移入している。娘の初恋の人なのに、なんてことをいってしまったのかと、少し後悔したが、この事実を凌馬が知るのも時間の問題だった。この話を知らない島の住人はいない筈だからだ。 凌馬は乗馬クラブに来ていた。スタッフの土産を渡し、仕事の説明を受け、サロンで暫く談笑をしていた。 「あの、寧音は元気ですか?会いに行きたいのですが」 そう聞くと、スタッフの顔色が変わった。 「え、寧音は?」 寧音に何か良くないことが起きたのではないかと、凌馬は不安になった。そしてその予感は的中する。 「寧音はね、死んだんだ」 そういったのは照之だった。 「死んだってなんで」 照之によると、朝、馬房に行くと、寧音の様子が明らかにおかしかったという。発汗し、右の後脚を地面に着けずに浮かしていた。とても辛そうだったという。すぐに獣医に連絡をしたが、獣医の車の音を聞いて、外に出た時、馬房から凄まじい音がした。急いで馬房に戻ると、寧音が壁に頭を打って倒れていたのだ。獣医の検視では、折れた脚の痛さと、片脚立ちの苦しみから、倒れてしまい、その時に壁に頭を打ち付けたのだろうと。 「こんなこというのは不謹慎かも知れないけど、即死だったのが何よりも救いだった」 「そうだったんですか…何とも言葉になりません。しかしなぜ、寧音は骨折をしたのですか。馬房にいたんですよね」 「それがわからないんだ」 照之はつらそうに頭を抱えた。 「すみません、なんか」 「いいんだよ。ただ……」 照之は窓の前に立つと、寧音の馬房がある場所を見た。 「僕がクラブに着く前に、誰かが馬を走らせていた形跡があるんだ」 「まさか、そんな」 凌馬も立ち上がり、照之の背後に行き、彼の顔を覗いた。 「帰宅時に、馬場を整えていたんだけど、その時の様子と、翌朝の様子が違うんだ。誰かが馬に乗ってた。絶対に」 「わからないんですか、誰が乗っていたか」 「クラブの鍵を持っている者は、でもここのスタッフではないみたいで」 「それじゃあ一体、だれが」 「わからない」 照之は振り返り、凌馬を見た。目の縁が赤くなっている。 「でも犯人捜しみたいなのはしないでおこうと思って。その人だって、まさか馬が脚を折るなんて思ってなかっただろうし、ただね、なんで早朝なのかなって。普通にクラブに来たら乗れるのに」 そんな時、この雰囲気には不釣り合いな甲高い声が事務所に響いた。 「凌馬くーん」 声の主は優子だった。真っ白なドレスを纏い。片手を上げて、大きく左右に振っている。と思ったら凄い速さで駆け寄って来た。 「久しぶり!」 凌馬に抱きついたので、凌馬はぎこちなく固まった。照之は見てはいけない物を見たかのように、右手で目の辺りを覆っている。 「ちょっと優子ちゃん」 「いいじゃない、寂しかったんだもん」 優子は周囲も目も気にせず、更に強い力で凌馬を腰回りを抱きしめた。 「苦しいから離して」 凌馬が無理やり優子を離すと、優子は唇を尖らせて身体を揺らした。 「冷たいね、まあ、そんなところも好きなんだけどね」 優子は凌馬の頬を人差し指でついた。凌馬はその頬に違和感を感じ、手でさすっている。 「きょうね、うちの父が来るのよ。クラブの様子もそうだけど、是非、凌馬くんに会いたいって」 「僕に会う、そう」 凌馬はそういうと、馬場に目をやり、虚ろに眺めた。
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