愛馬を殺した人

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愛馬を殺した人

世間が夏休みに入ると、店は1年でいちばんの繁忙期を迎える。豊で独特な自然を持つこの島の人気は高く、日本国内に限らず、世界各国から、観光客や学者が訪れる。 美波が親の食堂で本格的に働きだしてから3か月が経とうとしている。学生の時は厨房奥で、皿洗いばかりをしていた美波も、いまでは接客もこなせるようになった。学校が休みになった山岳部の美月は、屋久島へ長期合宿へ出ていて不在だ。長女の美海も、仕事が忙しくて、帰って来られない。最近になり腰を患った美紀子に立ち仕事は無理なので、店の出入り口付近に新しく建設されたレトロ感漂うレジカウンターに、大きな座りやすい椅子を置いて、会計担当をしている。祖母はこの場所をなかなか気に入っている様だ。 尊が調理全般を担い。調理補助と洗い場は美浜が担当した。この頃はじめてリースした業務用の食器洗浄機がフル稼働し、重宝している。 「美波ちゃん、また可愛くなったんじゃない」 尊の同級生の滝田と百地が、忙しく店内を動き回る美波をからかう。 「いつもありがとう、誉めてくれて」 最近は美波もこうした軽口が叩ける様になった。 「やっぱり眼鏡をかけてない方がかわいいな。あんなに美形だったとは思わなかったよね、髪型だってハイカラになっちゃってさ」 「羨ましいだろう、モモちゃんには髪の毛が生えていないからね」 「うるさいな、20歳まではフサフサだったんだよ。生えてないんじゃない。抜けたんだ」 「苦労が多いねえ、モモちゃんは」 「本当に、俺は苦労ばかりさ」 百地が禿た頭を触った時、尊が手に着いた水をふたりに掛けた。 「お前たちに無駄話ばかりしてないで、さっさと食べて帰ってよ。外にもお客さんが待ってるんだからさ」 「あんた、お客様に向かってお前はないだろう」 美浜が上がった唐揚げを更に盛り付けながらそういった。 「いいんだよ、俺たちはおぎゃーって生まれた時からの幼馴染なんだから」 一人っ子の尊は、このふたりとは本当の兄弟の様に育った。 「わかったよ帰るよ尊。また夜に来るけど」 ズボンの後ろポケットに入れてある財布を取り出した滝田は、財布の中を確認しながら話しだした。 「そういえばさ、馬の寧音が死んだって知ってたか?」 「ああ、知ってるよ。4月だろう」 「その話しが、密かに犯人捜しに発展しているらしいよ」 「犯人捜しってなんだよ」 百地にいわれれると、滝田はちらりと美波を見て、また今度話すわといった。美波は、カウンター奥にある場所で、お冷を注いでいたので、滝田の話しは聞こえていない。 昼の営業が終わり、夜営業も終わりの時間帯になり、久しぶりに凌馬が顔を出した。凌馬は週に1回のペースで店に来ている。 「いらっしゃい凌馬さん。きょうは遅いんですね」 美波が凌馬に気づき、満面の笑みを見せた。カウンターに座る凌馬が「いつもので」というので、美波は店の廊下手前にあるショーケースからビール瓶を取り出した。 「あっやっぱり大瓶で」 凌馬は片手を上げて、遠慮がちにそういった。彼と入れ替わりに他の客が帰り、ひとりになった。 「良かったら、一緒に飲んで下さいませんか」 凌馬はビール瓶を両手で持ち、尊と美浜を交互に見た。美紀子は21時には自宅の部屋に戻るので、酒を飲める年齢の人間は他にいない。 「美波ちゃんもなんかジュースでも飲んで」 「いえ、わたしは大丈夫です」 店内の隅っこの方に立っていた美波は、お盆を手前で抱え、美波は首を振った。 「そんなこといわないで、咽喉、渇いたでしょう」 「美波、こうおっしゃって下さるんだ、いただいたら?」 「たったの140円です。飲んで下さい」 この店のソフトドリンクは140円と安く、小瓶なので殆ど利益がない。 「では、お言葉に甘えて」 美波はオレンジジュースを選んで、自分でグラスに注いだ。 「いただきます」 遠い所から、グラスを持ち上げて、そういった。 凌馬はきょうのお造りと、タコと鶏軟骨の唐揚げを頼み、酒のつまみにした。 「ここのレモンは美味しいですね」 瓶ビールを2本飲んだ後、凌馬はレモンチューハイを頼んだ。輸送費が高い離島なので、広い敷地を有する坂口家では、レモンや野菜を自家栽培している。 「なんかいいことでもあった?」 尊が聞いた。きょうの後片付けも終わり、明日の仕込みの準備をしている。 「いいえ何も。寧ろ、嫌なことの方が多いいです」 チューハイを一気に流し込み、凌馬はおかわりを頼んだ。 「時間、大丈夫ですか?」 そういって凌馬は壁の時計を見た。時計の針は21時半を指している。 「大丈夫だよ。閉店は22時だからね。この時間に他に客がいないのは店の責任だよ。そうだ、きょうは早めに終わったから、良かったら付き合うよ」 夏休み期間中ということで朝営業がない分、夜更かしも出来る。 「ありがとうございます。僕も明日は休みなので、少しだけ付き合って貰ってもいいですか」 凌馬は乗馬クラブのスタッフが多く住んでいる、近所のアパートを借りていた。ここまでは徒歩で来ている。 「美波、良かったら、ここに来て夜食を食べないか」 同じ場所で突っ立っている美波に、尊は声を掛けた。 「はい」 美波は夜食の準備をはじめた。美浜は片付けが終わると風呂に入りに行くので、夜食当番は美波ひとりで担当した。手慣れたもので、3品くらいは10分以内で拵えてしまう。 「何があったの」 カウンターの中で椅子に座り、尊は足を組んで、焼酎の水割りを飲んでいる。調理場には大きな窓が3つあり、窓は全て開け放たれ、網戸に無数の虫がふっついている。カエルや虫の音が騒がしく、それが風流でもあった。 「たぶん、お聞きだとおもうのですが、馬の寧音が亡くなりまして」 「そうだったね」 尊は斜め上を眺めた。そこには、家族写真が飾ってある。尊の視線を追って、凌馬も写真を見た。額縁に入った写真は家族みんな笑顔だった。 「照之さんから聞きました。寧音を取り上げたのは慎一郎さんだって」 「そうなんだよ、あの子は本当に動物が好きでね。特に馬は大好きで、寧音を、まるで自分が産んだ子供かの様に可愛がってた」 尊はそういって笑い、焼酎を飲んだ。目尻の皺に、涙が光っている。 「寧音が死んだって聞いた時は哀しかったな」 尊は今度、娘を見た。美波は必死に料理を作っているが、話しは聞こえているだろう。寧音が死んだと聞いた時、美波は暫く言葉を発することができなくなった。表情も失い、涙に暮れる日々を送っていた。いまでも泣きながら眠る日がある。 「それで、嫌なことに、寧音の死が絡んでいるのかい?」 「腑に落ちないことがありまして」 「ふーん、それはどんな?」 足を組みなおし、尊は身を乗り出した。 「寧音が、脚を骨折していたの知ってますか?」 「いや、知らなかった」 料理の手を止め、美波がこちらを見た。 「骨折だったの?」 「はい、なんて聞いていたのですか?」 「病死だと、感冒と聞いていた」 「そうだったんですか。僕は、クラブ以外にはこのお店にしか来ないので、人との関わりが狭く、世間にどう伝わっているのか知らなかった」 「それで、寧音はなんで骨折したんだい?」 「それがわからないんです」 「わからない」 「はい。早朝、照之さんが馬房に行くと、寧音は既に骨折していて」 照之から聞いた話を、凌馬は丁寧に説明した。 話しを聞き終えると、尊は顎に手を置いて、考え込んだ。夜食を作り終えた美波は、それを盆に乗せて、尊や、凌馬に出した。 アボカドと海老のサラダ、ほうれん草とベーコンの焼きビーフン、ささみの叩きの3品だ。美波は未成年なので酒は飲めないが、酒のつまみは大好物だった。 「すみません、僕までご馳走になって」 「たくさん作ったので、食べて下さると助かります。母はお風呂から出てからヨガをするので、2時間は戻りませんし、ダイエットとかで余り食べないの」 「美紀子さんは?」 「うふふ、もう寝てます。お祖母ちゃんは9時に上がるので、その時になんか食べているみたい。凌馬さんが来たって聞いたら悔しがりますわ」 「そうですか、僕も美紀子さんに会いたかったです。どうか、くれぐれもよろしくお伝え下さい」 「わかりました」 どうぞというように、隣り合わせに座る美波は、料理に手を差し伸べた。 「それでね、さっきの話しに戻っていいかい?」 尊に聞かれ、飲み込んだ食べ物を喉でつかえた凌馬は胸をたたいた。美波は急いで水を注いで来ると、凌馬に手渡した。 「ありがとうございます。ああ、苦しかった」 「ごめん、急に話し掛けたから」 「いえ、器官が弱いだけです」 凌馬はもう一度、水を飲んでから話した。 「寧音の死因は骨折による転倒だと、いいましたが、なんせ骨折した理由がわからない。しかし、照之さんの話しによると、馬場に馬が放たれた跡が」 「誰かが、乗ってたってことかい」 美波の食事に手をつけず、尊は聞き入っていた。 「そうなんです。しかしスタッフの誰も首を振り、迷宮入りで」 「スタッフ以外が乗ってたってことは?」 「鍵を持ってる人間ということになります」 「多いの、鍵を持ってる人?」 「はい。スタッフは全員ですが、他に優子ちゃんの会社の役員が数名。あとは、出入り業者ですかね」 「昔、働いてた人も持ってるんだね」 「基本的には返して貰ってるらしいのですが、返し忘れた人の場合、そのままで、設立以来、鍵を変えていないので」 「それじゃあ、何十人も鍵を持ってるんだね」 尊は酒のおかわりを作った。 「凌馬さんも飲まれますか?」 美波が聞いた。これまでの話しを顔色も変えず、黙って聞いていた。 「じゃあ、もう1杯だけ」 「1杯だけなんて言わずに、まだまだ飲もうよ。まだ10時半だよ」 「ああ、はあ」 「どうぞ、新しいレモンにしときましたね」 「ありがとうございます」 凌馬は丁寧に頭を下げた。 「そうだ!」 尊は立ち上がった。 「美波は鍵、返したの?」 「わたし……」 答えようとした時、凌馬が遮った。 「すぐに返してくれたと、照之さんがいってました」 「そっか、それじゃあ、美波は容疑者から外れたな」 「容疑者だなんて、美波さんは関係ないです」 「わたし……」 「美波ちゃん、ごめんね。変な話を聞かせちゃって」 「いいえ、でもわたし……」 「最近、こんな話で、クラブが盛り上がってて、みんないやに楽しそうで、遣りきれないんです。馬が死んだ話なのに」 「それが、あったまきちゃったんだね、わかるよ」 「あの」 美波が少し、大きな声を出した。そして店のレジを開け、中から鍵を取り出した。 「これ、クラブの鍵です。わたし、未だ、返してないんです」 「美波」 尊も、凌馬も立ち上がり、美波の持つ鍵を見つめた。 湿度が高く、凄まじく暑いのある日の午後、店の休憩時間を見計らって、優子が美波を呼び出した。場所は店と乗馬クラブの中間地点にある公園の前だ。クラブの鍵を返せとメールに書いてあった。鍵のことは、どうやら凌馬から聞いたらしい。 「優子ちゃん、どうしたの急に」 美波は優子の乗る車の窓を覗いた。 「ちょっとー遅いじゃない。まあいいわ、車に乗って」 優子は自分の車の助手席を顎で指した。 「えっ、何処に行くの。わたし、夕方からお店があるし」 「何処にも行かないわよ、外が暑すぎるから車に乗れっていってんの。冷房が効いてるし」 「あっそうか」 美波は自転車を公園の入り口付近に停めてから優子の車に乗った。 「鍵」 優子はこちらも見ずに掌を出した。 「はい」 店のエプロンのポケットから鍵を取り出し、優子の掌に落とした。優子がジロリ睨む。 「なんで落とすのよ」 「えっ」 「丁寧じゃないわね、その態度」 「ああ、ごめん」 「もういいわよ、ほんとにもう」 優子は鍵をダッシュボードの中に入れると、片肘をボードの上に乗せ、ジロジロと美波を見た。 「もういいですか。ご飯も食べてないので」 「メールちゃんと見た」 「はい、読んだけど」 「そこになんて書いてあった?」 「えっと」 ポケットを探り、美波は首を傾げた。 「スマホ、忘れてきちゃった」 優子は頭を抱えている。 「あんたって、本当に、どんくさいよね」 「うーん」 「あのメールに、書いたのよ。馬の寧音が死んだ日の朝、何をしてたかって」 「寧音ちゃんが亡くなった日は、わたし、海岸通りをランニングしてました。高校を卒業してからの毎朝の日課だから」 「毎朝」 「はい」 「雨の日も」 「……」 美波は考え込んだ。 「台風の日も」 「台風の時は休みますけど、雨は、小雨なら走ってます」 「ああ、そう」 「はい、それが何か、寧音と関係が」 「馬鹿なの」 間近で指をさされたので、美波は一瞬、目を閉じた。 「疑われているの、あなた」 「わたしが、なにを?」 「美波ちゃんが、馬を殺した犯人じゃないかって。みんないってるよ!」 「そうなんだ」 美波はうつむいていた顔をゆっくり上げ、優子を睨んだ。
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