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しあわせの為に割り切って
「お隣のジョンソンさん、魔女裁判にかけられるんだって?」
「なんとも、悪魔の力で空を飛んでいることを告発されたらしいですぜ」
宿のロビーで交わされる噂話が耳に飛び込んで来て、はぁ、と溜息が漏れる。
とうとうこの小さな街にまで、魔女狩りの手が伸びてきたらしい。
住み良い場所だったが、そろそろ去らねばなるまい。一処に執着すれば、待つのは死のみだ。
「長らく、ありがとうございました」
金を払い、感謝の言葉と共に宿を出る。
たくさんの人と共に過ごした思い出も、小さな絆も、関係も全て捨て去って、私は平和な生活だけを求めて旅を続ける。
その魔術の才は、翡翠色の瞳を持つアイラに掛けられた永遠の呪いだった。
いつか終わって仕舞うしあわせを受け入れなければいけない、そんな呪いだ。
*
入れ替わり立ち替わり人が訪れる宿で育った僕の傍には、いつも物語が満ち溢れていた。
似たり寄ったりの土産や客もひとりひとり、ひとつひとつがそれぞれ違った過去を紡いで宿に訪れてくれているのさえ奇跡に思えて、自分で筆を取ろうと思ったのはそう遅くはなかった。
今では、そこそこ名を馳せる立派な小説家だ。
………また今日も、唯一無二の物語がこの宿に訪れる。
初めて、僕が心から惹かれた物語、いや、人がやって来た。
彼女の姿を見た途端、僕の鼓動が速くなった。
物憂げに伏せられた翡翠色の瞳、人を寄せ付けない雰囲気。
秘密を持った人間特有の魅力に、僕の心はあっという間に絆されて仕舞ったのだ。
思い立ったらすぐに行動するのが、のらりくらりとした僕の、小説家としての生き方だ。
僕はその日のうちに、彼女―――アイラの部屋に訪問した。
彼女の物語を知る事が、運命を変えるとも知らずに。
*
「アイラさん、何を書いていらっしゃるんですか?」
私がここに訪れた当日から話しかけてくれた少年、フランが、書き物机に堆く積み上げた羊皮紙の束を指差して言った。
「旅の記録よ。その地の名産物や見たもの、道筋で学んだ知恵などを書き留めているの」
温かで人々に光を見せるフランの言葉遣いとは対照的な、無骨な言葉で端的に纏められた情報群。
フランは、興味深げに羊皮紙を捲っている。
そういえば、作家だとかなんとか言っていた記憶がある。小説のネタにするのだろう。
「こんなに面白そうな経験があるなら、アイラさんも物語を書いたらいいのに」
物語は、美しい言葉、理想論、世界の綺麗なところばかりを語って。
その上現実には、大きな虚脱感しか残さない。
微笑みに留めるつもりが、いつの間にか本音が口から零れ落ちてた。
「そうですか………。まぁ、それも一つの物語への向き合い方ですよね。ですがいつか。僕は貴方に、物語が最高なものだと思わせてみせます」
フランのあどけなさが残る瑠璃色の瞳には、確かな決意が宿っていた。
今まで出会った事がない種類の人間で、私の中で彼に対する興味が芽生えるのを感じる。
「待っとくね。君が、私の中の物語の概念を変えてくれる日を。はい、これはお近づきの印」
普段使う事がない魔法の呪文を唱え、私は蝶のペンダントを創り上げて、フランに手渡す。
「魔法使いなんですか?凄いですね!」
「他の人に秘密にしておいてね。信頼しているわ」
気の早い秋風が、私たちの間を通り過ぎる。風は既に、未来を見ていたのかもしれない。
*
「アイラさんを魔女として告発することにした」
魔女裁判の手が徐々に近づいている所為で雰囲気が悪くなっていくのを見兼ねてか、父は僕ら家族に宣言した。
僕の心臓はドキリと跳ねる。アイラが魔女だと、僕は誰にも言っていないはずなのだ。
「なんでだよ父さん!アイラさんは不思議な人だけど、悪い人じゃないだろ?!」
語気が荒くなる僕を射る哀れみの色が濃い瞳。
それは、父の意思が定まっていることを示していた。
「仕方、ないんだ。俺らが魔女裁判にかけられないためには、誰かを売るしか……」
「仕方がない、か……」
父の言葉の意味はよくわかった。
ここでアイラを告発して、自身が魔女でないことを証明しておかなければ、僕らも恨みを募らせる誰かにやられて仕舞う。
自分の前の誰かが苦しむか、自分が苦しむか、それとも、知らない誰かが苦しむか。
今この時代に生きていればその三択を強いられる。
割り切るしか、ないんだ。
*
フランと過ごす日々が楽しくて、ついこの街に長居したのがいけなかったのだろう。
私は宿の主人に告発されて、あっけなく十字架に吊し上げられた。
皆が歓喜している中、一人泣いている者がいた。
彼は、瑠璃色の瞳いっぱいに涙を溜めて、私を想って泣いていた。
蝶のペンダントを握って。
私の存在が誰かの為になったのなら、それは本望だ。
せめてフランの物語だけでも、しあわせな結末で結ばれてほしい。
日が、頂に登った。
処刑の時間だ。
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