余暇

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余暇

採用した社員のことなら、面接で初めて顔を合わせた日のことを、ひとり残らず覚えている。 数十人しかいない小さな会社なのだから、当然と言えば当然だ。 会社を立ち上げて、初めて新卒者の募集をした年の応募者の中に、未来(みき)はいた。 面接で好きな広告を質問された学生たちは、皆こぞって青島が以前勤めていた広告代理店の作品を挙げた。 そんな中で、本が好きで出版社も検討していたが、言葉を自ら紡ぎ出す仕事が他にもあることを知って、この世界に興味を持ったと語った未来が、好きな広告だと挙げたのがソーダ水のテレビCMだった。 すれ違う若い男女が、いずれは結ばれることを予感させる内容で、甘酸っぱい商品と物語がリンクした良く出来た内容だった。 未来がそのCMを挙げた時、一瞬その場は騒ついたが、当の本人は首を傾げただけだった。 騒ついた理由は、青島がいた広告代理店の最もライバルとされていた事務所の作品だったからで青島が、なぜここに応募したのかと質問すると、凍りつく学生たちの前で、未来は平然と答えた。 「小さい会社の方が、即戦力として求められると思ったからです。」 あの時に多くの学生たちから受けた羨望の眼差しを、未来から感じるようになったのは、一緒に仕事をするようになってからだ。 決して建前ではなく、自分が感じたままの気持ちを懸命に伝えようとする未来を、部下としてずっと見てきた。 でも、ただ、それだけだ。 青島の知っていた未来のそれが、紛れもなく未来の一面だったとしても、それだけの事だった。 それが突然、青島の中で未来が女になってから、全てが変わった。 今となっては、否定して、取り繕い、抗った自分を愚かだったとさえ思う。 そして青島の知らない、青島の知る未来につながる過去を垣間見たことで、また更にのめり込むのだ。 思いが重なることがなかった初恋の話を聞いた後、殆ど言葉を交わすことなく、夕映の山々を遠くに見ながら、オーベルジュに到着した。 「疲れたか?」 駐車場に車を止めてフロントに向かいながら、青島は未来に聞いた。 「私は全然。宏さんこそ、運転変わるって言ってるのに、結局ひとりで運転して疲れたでしょう?」 「一泊だとさすがにキツイが二泊だからな。ゆっくりするから大丈夫だよ。」 青島の言葉に未来は笑って、辺りを見渡した。 「最近来たばかりなのに、ずっと前のことだったような気がします。休み前に完成して良かった。そうじゃなきゃ遊びになんて来られませんでした。」 そんな未来の頭を、青島はまるで子どもを褒めるように、ぽんぽんと撫でて労った。 「先方も喜んでくれたようだし、ひとまず顔向けはできるな。お疲れさん。」
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