17時60分

8/8
前へ
/8ページ
次へ
 車椅子を動かすハンドリムに手をかけたまま、じっと僕を見上げている女の子。  口角を吊り上げて、僕をからかうような笑みを浮かべている。  薄ピンクのパジャマを着ている。 「き、君……」  上手く言葉が出ない。  僕のことをちゃんと覚えているのか。  どうしてこの場所に現れてくれたのか。  何故僕はあの時間を失ってしまったのか。    聞きたいことは山ほどある。  だけど、それ以上に、伝えたい感情がせり上がってくる。 「お兄さん、最近流行りのおまじない知ってる?」  だが、僕が口を開くよりも、女の子の方が先に声を発した。 「お、おまじない?」 「そう、おまじない。知らない? 流行ってるよ?」 「知らない、けど……。ていうか、おまじないなんて非科学的なこと……」 「信じてない? 実は私もだったよ。でも実際変なことが起こって、お兄さんに会えた」 「変なことって、まさか」 「そう! 17時60分!」 「ま、まさか。あれは、君のおまじないが原因ってことか?」 「きっとそうだよ! 最近は手術だったから、やめちゃってたけどね」  そう言って彼女は、隣にそびえる大学病院を見上げた。  手術。  その言葉に、思わず車椅子に目を落とす。  薄々気付いてはいたが、やはり彼女はどこか具合が悪いらしい。  きっと、重い病に違いない。  だから生きる時間を引き伸ばすために、妙なおまじないをしたんだろう。 「おまじない、続けるのか?」 「え? なんで?」  深刻な態度で聞いた僕の言葉に、素っ頓狂な声で聞き返してくる彼女。 「なんでって……」 「だって、もう必要ないもん」  それは、病気が良くなったからか?  それとも、変に覚悟でもしてしまったから? 「なんで不思議がってるの? 私、もうお兄さんに会えたじゃん」  彼女のその言葉に、僕は困惑する。 「僕に会えたからって……」 「あ、ごめんなさい。流行りのおまじない、知らないんだったね」  彼女ははにかんで、少し照れたように目を泳がせ、数回瞬きをした。 「運命の人と会えるおまじない、だよ」  こちらを探るように向けたれた彼女の眼差しに、僕の心は射抜かれた。  僕が彼女を求めてしまっていたのは、どうやら彼女が運命の人だったかららしい。 「病室からお兄さんが見えて、思わず出てきちゃった。会えて、凄く嬉しい。この前は、急に具合悪くなって、行けなかったから……」  そう言って幸せそうに笑う彼女を見て、僕は心に決めた。  この子がどんなに重い病気でも、諦めずに添い遂げよう。  彼女が意気消沈しても、毎日毎日励まそう。  暇をしていたら逐一連絡を取って、トランプでもしてあげよう。勉強だって教えよう。  彼女が眠るまで話をしてあげよう。  僕が、一生彼女の心の支えになろう。  だって僕は、この子の運命の人なんだから。 「君のことを、もっと知りたい。教えてくれ」  車椅子の前に跪き、色白のその手を取って、僕は彼女に微笑んだ。  彼女も、愛らしいその顔に笑顔を浮かべた。 「これから、よろしくお願いします」  僕に最愛の恋人ができた瞬間だった。  ちなみに、彼女の病名は盲腸だった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加