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深夜のバイトから帰ってワンルームのポストを開けると、いくつかの手紙が入っていた。
「大治 誠 様」
機械的にそう印字されていたのは、ガスの請求、洋服屋のダイレクトメール、それから見たことのないクリーム色の封筒。宛名の右下に、先日面接した企業のロゴが入っている。僕は急いで部屋に戻り、ハサミを探した。探しながら、壁と机に強く体ををぶつけた。僕はよくこうして体じゅうにアザを作る。
結局ハサミが見つからなかったので、指を使って慎重に封を切った。目に飛び込んできたのは、「不採用」の文字。一気に力が抜けた。珍しく最終面接まで行った企業で、期待していないわけではなかった。
僕は大きくため息をつき、ベッドの上で大の字になった。封筒を持っていた手がベッドからはみ出したので、そのまま床に投げ捨てて、目を閉じる。さっきぶつけた肩やつま先が、ジンジンと痛んだ。
就職活動はそれなりに頑張っていた。独立したりやりたいことがあるわけではない僕にとって、会社員は自然な選択だった。そのまま自然に働けるならどれだけ良かったろう。
だが僕にはそれが困難だった。まずルールやマナーがわからなかった。平服で、とうたっていたイベントにTシャツを着て行った僕は浮いていたし、イベントに入場するための書類を忘れることもしばしばだ。
企業を選ぶのも一苦労だった。大学で学んでいる文学は、ほとんどの企業で一切必要ないらしい。僕は出版社や書店をいくつか受けてみたが、業界自体が冷えているのか、結果は芳しくなかった。
受け答えだけははっきりしていたし、そんな僕を面白がってくれる会社はいくつかあった。それでも内定には至らなかった。シャワーを浴びながら、僕はこの先、ちゃんと食っていけるのだろうか、なんていう答えのない問題について考えていた。
はっきり言って生活力はなかった。料理は下手だし、体はぶつけるし、部屋の掃除もできない。それでも生きていかなきゃいけないし、そのために頑張ろうと思うだけの元気は残っていた。僕の唯一の取り柄が元気だという自覚はある。それで飯が食えたらいいのに。
翌朝、部屋のチャイムを鳴らす音で目が覚めた。扉の向こうには、恋人の明莉が立っている。しまった。
「荷物、取りに来たの……。忘れてた?」
明莉はパジャマ姿の僕を見るなり怪訝な顔をした。
「忘れてない、」
大嘘をつきながら、僕は明莉を部屋に招いた。今度は引き出しの取手に脇腹をぶつけたが、明莉はため息をついただけで何も言わなかった。
脱ぎ散らかした服に、捨てるのを忘れたコンビニ弁当のパック。彼女はその散らかった部屋から、てきぱきと自分の私物をまとめていく。
「……誠、朝御飯は食べたの?」
不意に聞かれて、首を振った。
「それくらいは作っていくわ、」
冷蔵庫を開けて、フレンチトーストでいいか問う。僕はなんでもいいと答えた。
面倒見のいい子だった。なんにもできない僕に、よくこうして、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。彼女はよく「私がいないとダメね」と笑っていた。
こういうことはよくあった。大学のクラスメイト、同じ講義をとった上級生、バイト先の同僚、時にはただすれ違った人まで、みんな勝手に近づいてきては「あなたは私がいないとダメだ」と言う。そしてあまりのダメさに、勝手に離れていく。
女も男も近づいてくるが、僕はどちらでも恋人になれたので、問題も二倍になった。
すんなり別れてくれるならまだ良い方で、彼女の浮気相手が刃物を持って乗り込んできたり、おとなしい恋人が急に高額なサプリメントを売り付けてきたこともある。変な集会につれて行かれて世界の終わりについての話を聞いたこともあるし、金欠を聞き付けた彼氏に、いかがわしいバイトを契約させられたりもした。あれは最悪だった。
不思議なことに、いつまで経っても僕は人の善悪の区別がつかなかった。みんないい顔をして近づいてくるし、楽しそうな予感を抱かせる。僕のために与え、笑う僕を見て喜ぶ。
そういう人を無下にはできないし、もしかするとそこに本気になれるきっかけがあるかもしれない。だから、僕が相手のことをどう思っていようと、相手が僕を好きと言うのなら喜んで付き合った。つまるところ僕は恋愛があまり面白くなかった。
僕は明莉が去ったあと、急に誰かと話したくなった。携帯を手に取り、連絡先を眺める。
ふと、昨日バイト先で交換した連絡先が目に止まった。植田悠生、と言うらしい。年は一回りほど違うようだが、腰が低くて純朴そうな男だった。怪しい人間でないと言いたかったのか、ご丁寧に名刺まで置いていった。仕事場で怒鳴られる、という彼に、あれ以降妙な仲間意識を抱いているのは確かだった。
僕はしばらくその画面を凝視して、それから別の連絡先を探した。僕から連絡しなくたって、きっと彼の方から連絡があるだろう。他の大多数と同じように。
僕は結局、親友の美枝に電話を掛けた。
『……もしもーし』
めんどくさそうな声だ。彼女はいつもそんな風に電話をとる。僕は明莉と別れたことを話した。
『まぁ、そうなると思ってたけど』
「軽っ。なんか慰めてよ」
『慰めるったって、マコ全然落ち込んでないじゃん。アタシこれから仕事なのよ、あとにしてチョーダイ』
美枝は雑居ビルの地下の一室で、アジアやらアフリカやらの輸入雑貨店を営んでいる。何度か遊びにいったことがあるが、暗い店内にお香の香りが充満して、それが派手な民族衣装を着た彼女によく似合っていた。
昔から、美枝には不思議な魅力があった。高校生の頃、同じ陸上部でひとつ上の先輩だった彼女は、当時から焦げ付きがちだった僕の恋愛関係の悩みを、いつも親身になって聞いてくれた。時には叱ってくれることもあった。僕は彼女を姉のように慕っていた。
たった一度だけ、付き合わないか、と僕から聞いたことがある。僕からそんなことを言ったのは、あとにも先にも彼女だけだ。けれど彼女は、自分は女の子としか恋愛しないから、と断った。以来、僕らは半永久的な親友になった。
と同時に僕は、自分から誰かに好きだと言うことをやめるようになった。別に彼女のせいじゃない。そうしなくたって相手には困らないし、ただ、何となく気が進まなくなっただけだ。
彼女はそのまま、今日の夜なら空いているからといって、電話を切った。僕はなんだか不服な気持ちで、ベッドに横になった。頑張ってね、そう言ってくれるのは昨日の植田さんぐらいだった。
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