序章

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「国井舞さんに会った」 可愛(えの)は風呂から上がって来て、リビングのソファに座った。 タオルを髪に巻いたジャージ姿だった。 マイが後追いして来た。 「お風呂上がりは恐ろしいくらい私にそっくり」 転一子(うたたいちこ)は正面のソファでビールを飲んでいた。 「私も二十四時間ずっとお母さん似ならよかった。そしたら、あんな(ひと)やこんな(ひと)が振り向いてくれたのに…」 可愛は膝の上で寛ぐマイを撫でた。 マイの尻尾が揺れた。 「可愛(えの)は、お父さん似だから存在意義があるのよ」 一子は迷いが無かった。 「マイの病気、難しいらしくて、この間、人情先生から紹介されて、今日、東大動物医療センターに行った。そしたら、たまたま、お姉ちゃんがいた」 マイを抱き締めた。 「飲む?」 一子はセンターテーブルの上の口の開いた瓶ビールを可愛の方に押し出した。 「お母さんそっくりだった」 可愛は瓶から直接ビールを口に含んだ。 「遺伝子は恐ろしい」 一子は、にやりとして立ち上がった。 「でも中身は全然違う」 可愛は小さくげっぷした。 鼻が痛くなった。 「はい」 一子は持って来た新しいグラスを可愛の前に置いた。 「ありがとう」 可愛はグラスの冷たさを感じた。 「舞さんと何か話した?」 一子は二本目のビールの栓を開けた。 「妹だって名乗ってみた」 可愛は口を付けた瓶からビールをグラスに注いだ。 「それで?」 一子は王冠の裏の匂いを嗅いだ。 「これと言って反応無し。既読無視的な」 可愛はビールの泡が弾ける音に聴き入った。 「妹がいることは知ってると思うけど…」 一子はビールの泡が立たないようにグラスに流し込んだ。 「連絡先交換してくれなかった」 可愛はスマートフォンを探した。 マイを抱いたまま立ち上がって見回すと、キッチンカウンターの上に発見した。 マイを一子の膝に移して、スマートフォンを取りに歩いた。 「私に気を遣ったんじゃない?」 一子は泡の無いビールを一息に飲み干した。 マイは一子の脚を蹴って飛び降りた。 「驚いたんだと思う」 可愛はスマートフォンを取った。 足元のマイを抱き上げてソファに戻った。 一子の目が一瞬、潤んだ。 「泣いてる?」 可愛はまさかと思った。 「ゲップ、飲み込んだ」 一子は左手を口に当てた。 「出しなさいよ」 可愛は顔を(しか)めた。 「レディの(たしな)み」 一子は胸をとんとんと叩いた。 「私が中学の時、お兄ちゃんが調べてくれた。お姉ちゃんのこと」 可愛はスマートフォンをテーブルに置いた。 「知ってる」 一子はビールはもうお終いと決めた。 「そうなんだ」 可愛は眉毛を引き上げた。 「お兄ちゃんは舞さんと一年くらいお付き合いしたのよ。舞さんが高校一年の時かな?」 一子は残りのビールの量を確かめた。 「嘘!」 可愛はグラスを持ち上げようとしていた手を止めた。 「舞さん、みるみる成績が落ちて…」 一子は母親の顔だった。 「本気だったんだ」 可愛の視点は違った。 「始めは、舞さんが付き合ってる男の子が誰か分からなかった。お兄ちゃん、舞さんに近付くのに偽名使っていたの。でも、男の子がある日、マイって名の子犬を連れて来たの」 一子はマイを見た。 マイは耳を動かした。 「偽名…」 可愛は兄の意図を推測った。 「私がお兄ちゃんに舞さんとの交際を止めさせた」 一子はグラスと瓶を(さら)って腰を上げた。 「あー、それでお兄ちゃんはアメリカへ?」 可愛はぴんと来た 「今思うと、可哀想なことをした」 一子はキッチンに立った。 「お兄ちゃんはお母さん命だから」 可愛は目で一子を追った。 マイをそっとソファのクッションに乗せた。 マイも受け入れた。 「ちょっと嫉妬があったのかな?」 一子はグラスを流しに置いた。 「嫉妬…」 可愛もグラスと瓶を取り上げた。 「自分が捨てた娘に…」 一子は残りのビールを圧力鍋に注いだ。 「お兄ちゃんを盗られると思ったの?」 可愛も残りのビールをグラスから瓶から圧力鍋に溢した。 「娘を私の身代わりにするなって言った。それで、お兄ちゃんは壊れてしまった」 一子は可愛の瓶を受け取った。 「お姉ちゃん、恋なんて一度もしたことが無いみたいな顔してたのに…」 可愛はグラスを流しに並べた。
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