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序章
聖モテモテ教会の裏手にあるのが、国井舞の住むマンションだ。
実は、教会はそんな名前ではない。
舞は、自分を全く面白味の無いヒトだと思っている。
だから、あえて教会をそんな風に心の中で呼んで、自分の面白味の無さに抗ってみたりしている。
しかし、この面白味の無さは父譲りなので、遺伝子レベルの問題で、一時的に外れることはできても、いずれまた元通りになってしまう。
舞は、そう思っている。
仕事場は、歩いてすぐの東大附属動物医療センターだ。
そこで獣医をしている。
一年目の新米だ。
大学院生でもある。
父は、都立高校の校長をしていて、教育のためにはお金を惜しまない。
だから、こんな面白味の無いヒトになってしまった。
舞は、そう思っている。
と言って、愛情の無い家庭だったかと言うと、そうでもない。
むしろ、愛情に包まれて育ったと思う。
なのに、いや、だからこそ、こんな面白味の無い人生になってしまった。
舞は、そうなることを宿命だと思っている。
それが幸せだと感じている。
たとえそうだとしても、舞が燃え上がるような恋をしたことが無いと断じるのは早計だ。
舞は、これまでの人生で一度だけ恋をしたことがある。
その恋のことを思えば、これからもう二度と恋をする機会が無いとしても、一生生きて行ける。
舞は、そう思っていた。
「転さん」
舞は新患の犬を診察室に呼んだ。
初めて見る名字だ。
助手としての仕事だ。
「はい」
犬を抱いた女性が待合室の椅子から立ち上がった。
舞より少し若い。
華やかな印象だ。
面白味も大いに有りそうだ。
「それでは、私は車でお待ちしてます」
横にいるのは、遠野桜、個人タクシーの運転手だ。
「はい」
犬を抱いた女性はこくりと頷いた。
「マイちゃんですね?」
舞はぎょっとした。
覚えのある犬だからだ。
それどころか、何を隠そう、マイの名前は舞から来ている。
初めて犬は恐怖で身を固くしていることが多いが、飼主に抱かれたその犬はぷるぷると尻尾を振っている。
嬉しさを全身で表しながら、舞の腕に飛び込んで来た。
危うく落とすところだった。
「あら、さすが獣医さん…」
飼主は驚いた。
当然、舞とマイが初対面だと思っている。
それなのに、この馴れ親しみは、獣医に備わった何かの能力に違いない。
「そうですか、そうですか」
舞はマイと見詰め合った。
確かに歳は取ったが舞のことを懐かしんでくれている。
何故、マイがこの女性の許にいるのか?
「もしかして、お姉ちゃん?」
飼主は舞の名札を見ていた。
桜の足が止まった。
「はい?」
舞は飼主の顔をまじまじと見直した。
「国井舞さん」
飼主は音読した。
「はい」
舞は飼主の顔が近いなと思った。
「私の会ったこともない姉と同姓同名で、しかも職業まで同じなんです」
飼主は母の面影を舞に認めた。
「あー」
舞は頭が真っ白になった。
マイの温もりしか分からない。
「始めまして、種違いの妹の可愛です」
可愛はぺこりとした。
「私を産んでくれたヒトの娘さん…」
舞はやっとのこと声を絞り出した。
「まあ、どう考えても、そうなります」
可愛はくすっとした。
「あー」
舞は、犬に顔をベロベロされながら、フリーズしていた。
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