娘と刀

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 眼下に海を望む寺に、無縁墓あり。  棹石無く、土饅頭を盛りて、真っ直ぐに抜身の打刀突き刺されて立つ。墓標の代替と為されたる刀身には「於 神影 以 南蛮鉄 一」とのみ銘刻まれてあり。  海からの風雪に晒され乍ら永く立ちてゐれども、刀身の錆びつくことなし。風に枯葉舞いその刃に触れればたちどころに両断されるものとぞ云へり。  ある夏の夕刻、寺の墓に立ち来る者あり。齢十三を数へし娘、学校帰りの出で立ちにて墓の前に立ち、柄に両手を掛け握りたる。歳若き娘なれど、力込めずとも難無く刀は引き抜かれたり。  盛り土を離れ娘の手に収まりたる打刀、宵闇を迎えつつある夏空の光を受け、妖しく赫けるものなり。  その晩遅く、かの刀を用い孕婦たる姉の腹を裂き胎児を引き摺り出したる娘、遺児を両手に捧げ持ち家より遁走せり。家人曰く、彼の者は妹娘に非ず、彼れは長虫朽縄の類也とぞ。  そののち、娘の行方は知れず。遠方に住まふ親類の者に曰く、終電車両内に長物を携えた十三、四ばかりの娘見しと、また産院の看護婦曰く、深夜の昇降機内に嬰児を抱え貪り食ふ娘見しと、また娘の学友曰く、墓地より掴み出したる骨壷より手掴みで白き骨齧りをりたる娘見し、とぞ。諸々の話云ひ給ふ者幾人か有りしが、何れも噂、怪談奇談の域を抜けず、果たして確たる姿見し者有りしやと。  更に幾日か過ぎたのち、遺児の父親たる義兄の生家の床の間にて、学校帰りの出で立ちのまま娘死に居たりとの通報有り。  家人の知らぬうち、蒸し暑き客間に忍び込みたる娘、床に祀られて居し觀音像を己が下穿きの内へ潜り込ませ、代わりに、連れ出したる遺児を床に安置しけり。そののち、携えた刀にて自らの頸を掻き斬り、事切れて在りたり。  付書院の障子やら山水画の掛軸やらに赤き鮮血の飛び散りたるは、彼岸花の咲きたるが如しとぞ、家人云ひける。  娘の右手に握られたる打刀、歳若き娘なれど男三人の力にても拳は開かず、指掌に吸い付いたかの如く離れることなし。然れど、家人が娘の下穿きの内、下腹部より觀音像を取り出したる途端、紙の剥離せしが如くに手より離れ畳に落ち、煙の如くに失せにけりとぞ。  娘の住みたる町の海の寺、住職宗摩和尚曰く、夕刻に墓所を掃除せし折、土饅頭を盛りたる無縁墓に打刀の戻りて、元通りに刺さりて在りき、と目を伏せ合掌せり。 とやあらむ。
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