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転生は拒否します
真っ白で、狭くも広くもあり、すべての感覚が役に立たなくなるような空間で、僕は目の前の女性の提案を拒否した。
「見知らぬ女の人に、情けを施してもらいたいとは思いません」
「あなたに女性として見えていても、性別はありません。しいて言えば女神でしょう」
「だって、女に見えます」
「きっと、男よりもそちらのほうが好ましかったのでしょうね」
「男にもなれますか」
「あなたの認知がそうあるなら」
「……できないようです。そっか。……最期は、女神に見送られたかったんだな……」
「それで、転生ですが」
「だから、それは拒否します」
僕は、僕にとっての女神をにらみつけた。
「どこの異世界にも転生したくありません。どんなチート能力もいりません」
「……はあ。異世界転生ものの書物を禁書としたいくらいです」
女神がため息をついて、肩を落とした。
「そう簡単に、異世界になど転生できません。そんな能力はわたしにはないのです。最初から付与される能力などもありません。チートは、自分自身で獲得していくものです」
さすが女神だ。
ラノベの話についてこられるらしい。
「女神も読むんですか?異世界転生もの」
「読まねぇよっ!……コホン。読まなくても、わかります。そこは神なので」
一瞬ヤンキーみたいになったのは、気のせいだろうか。
「なら、なおさら転生なんか拒否します」
僕はどかっと座り込んだけど、フワフワした場所だから、座るというより浮かぶって感じだった。
うん、僕はちゃんと死ねたんだな。
自分では怖くて何もできなかったけれど、久しぶりに外出したあの日。
コンビニに行く途中の交差点に突っ込んできた車を、僕は避けなかった。
びっくりはしたけど、どこかで思ってしまったから。
ああ、これで自由になれるかもしれないと。
そう気がついたら、足が動かなくなったんだ。
「やっと解放されたんです。もう、放っておいてください。消え去ってしまいたいんです!僕の魂なんか、未来永劫、消滅させてくださいっ!!」
ずっと、ずっと願っていたことを僕は怒鳴った。
中学に上がったあたりからだろうか。
コビた笑顔を作ることもできないし、だからといって、浮いている自分はイヤだった。
外に出るのも怖かったけど、家の中だって針のムシロ。
僕の存在が家を暗くしているって、わかってたから。
「異世界転生は無理ですが」
天空に浮かんでいた女神が、僕の目の前に降り立った。
「繰り返したあなたの生を、お見せすることはできます」
「へ?」
「これが初めてではないのです」
「転生するのが?」
「ほら、見て」
女神が腕を上げて手を振ると、目の前の空間が、タブレットの画面みたいになった。
「え、これって僕?……英雄じゃん!」
いつの時代か、どこの国かもわからないけど。
甲冑っぽいものを着て、僕はバッタバッタと敵を切り伏せている。
仲間たちの賞賛が戦場に轟き、凱旋すれば、皆が歓声を上げて迎えてくれた。
「はい。あなたの他者に対する共感能力の薄さが、このときは国を救いました。ためらいもなく敵をせん滅して、敵国を滅ぼしたのです」
……なんか、微妙な気持ち。
「次、これ?お、今度は敏腕弁護士?すげぇ、これって百戦百勝ってやつじゃん!」
画面では、いかにも「デキル男」って感じのイケメンが法廷に立っていて、勝訴をもぎ取っていた。
「いやあ、先生!ほぼ負け試合をひっくり返すなんて、さすがですなぁ」
僕の肩を叩いて大笑いしているのは、ちょっとコワモテのオヤジだ。
「あなたの他者に対する共感能力の薄さと能力の高さが、被害者感情など気にせずに法の知識を駆使して」
「ほめてないよね?」
「以前の魂の行いを述べているまでです。一方には善、他方には悪。人の世の常でしょう。ただ……」
「あっ!」
タブレット画面の中で、「事務所」から出てきたイケメン敏腕弁護士が、バイクで近付いてきた男から発砲されていた。
首から血を吹き出した以前の僕の膝が、ガクリと崩れ落ちていく。
「行動には報いがある。良くも、悪くも」
わかってる。それは、よくわかっている。
義務教育期間中、両親は頭を下げまくっていた。
学校にも、近所のやつらにも。
特別、悪いことをしていたとは思わない。
おかしいと思ったことをそう指摘しただけ、イヤだと思ったことを拒絶しただけ。
「あなたの正義は、他者の正義と同じではありません」
「……わかってます」
「けれど、悪ではないのです。その正義で救国の勇者だったことも、敏腕弁護士だったことも、あるのですから」
「でも、ろくな死に方してないじゃん」
「まともな死に方とは?」
「畳の上で、とか」
「その理屈なら、孤独死はまともというわけですか?」
「そう言ってるヤツもいるよ。”孤独死ってサイコーじゃん”って」
「それもひとつの見方ですが、”サイコー”の孤独死ばかりではありません」
「なにやっても、結局サイコーのものなんてないんだろ。だからさ」
僕は消え去りたいんだよ。
もう、ジクジク痛む胸を抱えて、ひとりぼっちでいるのはイヤなんだ。
人を殺しまくるのも、被害者を泣き寝入りさせるのもイヤだ。
「それは一面でしかありません」
顔を伏せた僕の頬に、奇跡みたいにきれいな手が添えられて、上を向かされた。
「あ……」
タブレット画面の中では、英雄は得た褒章すべてを孤児たちのために使い、敏腕弁護士が、児童養護施設のボランティアをしている。
「偽善となじる者も当然いました。そういう側面もあったでしょう。罪滅ぼしのつもりの行為だったかもしれません。けれど」
孤児たちは温かいスープを飲んで、養護施設の子供たちは、弁護士と追いかけっこをしながら笑っていた。
はじけるように笑っていた。
「誰かの心を輝かせたことは、事実なのです。やらない善より、やる偽善。あなたの直前の魂が、よく言っていました」
「でも、すごく悪いこともやってるみたいだけど」
「そこが魂の不思議で」
女神が俺の頭をなでる。
「愛しいところです」
愛しい。
確かに、女神はそう言ってくれた。
「僕は、悪ばかりじゃない?僕を嫌いなヤツらばかりじゃなかった?」
女神はそよ風みたいなため息をつくと、さっときれいな手を振った。
「あっ!!」
切り替わった画面には、僕の葬式風景が映り始めた。
「お、お母、さん……」
棺にすがりついていて号泣している母親が、画面いっぱいの大写しになる。
「なんで、なんで!ばかっ!ばかばかばか!」
父親が全力で引きはがそうとしても。
あのほそっこい母親に、どこにそんな力があるんだろう。
母親の腕は、抱きしめた棺から離れようとはしなかった。
「あなたは、確かに愛されていましたよ」
何人もの親戚たちが母を取り囲んでも、強引に体に手をかけても。
髪を振り乱した母親は、棺に頬ずりを繰り返すばかりだ。
「うぅ……。うわぁぁぁぁぁぁっ!」
人生で、いや、もう終わってるけど。
僕の時間軸で初めて、大声を上げて喚いた。泣き叫んだ。
「どうすればよかったんですか、女神っ!僕はつらくて、つらくてつらくて!もっとガマンすればよかったんですかっ!みんなはもっと耐えてるって言うんですかっ!!」
「他者と比べることには、意味がありません。あなたは、あなたです。そのあなたがつらかったのなら、それは真実。ただ……」
父親に引きずられて、床に崩れ落ちて咽び泣く母親を、女神はじっと見つめている。
「人の数だけつらさも真実も存在する。あなたは唯一だけれど、他者もそれぞれ唯一なのです」
女神の声が心に突き刺さり、穴をあけ、広げ、その言葉が染みわたっていく。
なんで僕だけ。
いつだって、そう思っていたけれど。
「ごめんなさいっ。女神様、ごめんなさい。お母さん、お父さん……」
僕の存在が、間違ったものばかりじゃないって思いたかった。
でも、信じられなかったんだ。
何度も突き付けられる非難の指に堪えられなくて。白い目が怖くて。
誰に会っても、どこに行っても。
「どうせこっちが悪いって言われるんだ」という思いは消えずに、誰の話も聞こうとしなかった。
殻に閉じこもって、耳と目をふさいだそれは、僕の選択。
「……ごめんなさい……」
「次に転生していく場所や時代が、あなたに合うものとは限らない。けれど」
女神の手が全身をなでていくと、周囲の光がますます強まっていった。
「懸命に生きる魂は、いつだって美しくて、愛しい」
脳裏にいろんな僕の時間が流れて、去っていって、最後はただの光となっていく。
「さあ、原初に戻って」
これまでと同じように、ただ、生きてください。
優しい、優しい女神の声に包み込まれて、僕の意識は薄れていった。
このところ、担当する魂の回帰が続いたから、下界をのぞくのは久しぶりだ。
「あの気難しい魂は、今、どこにいるのかしら」
すぐには見つからずに、人の世界をしばらく眺めていた。
「どうか、幸せに」
いつか愛を見つけられますように。
それまで生きぬいて、諦めないで。
いつまでも見守っているから。
いつまでもここで、待っているから。
まぎれもなく、あなたを待っているから。
最後の女神は祈りを歌に変えて、その場にたたずみ続けた。
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