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鳥葬茶会の夢
お外でティータイムがしたい、という颯子のわがままに答えて、中庭にティーセットとサンドイッチを用意したのは一度や二度では無かった。彼女は幾つになっても、本に影響されてその真似をしたがる種類の人間だった。部屋で本を読むことが彼女の生活の殆どを占めていたのだから仕方なかったのかもしれないが。そして厄介なことに、表面だけをなぞって満足してしまうタイプでもあった。庭に颯子が植えた球根はどれも例外なく放置され、その度に私が面倒を見ていた物だ。
折角用意してやったサンドイッチを禄に食べずにパンをちぎって周囲に撒く姿も、もう見飽きたぐらいだ。私に出来るのは、せいぜい自分の分の食料を鳥に啄まれないように、さっさと食事を終えてしまうことぐらいだった。
颯子は小鳥と戯れながら、こちらに意味ありげに視線を送る。
「和子ちゃん、ほら見て、可愛いよ」
集まっているのは、手のひらに収まるくらいの大きさの小鳥だ。一体何処から湧いてきたのだろうと思わずにはいられないほどどんどん集まってくる。いや、何処かから集まってくるのでは無く、パン屑が撒かれるという事象をトリガーとして世界に小鳥という存在が発生するのかもしれない。そう思わずにいられないほど、小鳥はどこからともなくパン屑に寄ってくる物だ。
「勿体ないと思わないの」
「私なんかに食べられる方がよっぽど勿体ないって、サンドイッチも思ってるよ」
「まあ良いけど、調味料のかかった部分は鳥に与えないで。何が毒になるか分からないし、私の作った物のせいで死んだかもしれないと思うと夢見が悪い」
「そっか、無駄死にだもんね」
颯子はパンを表面からちぎって撒き、適当なところで切り上げて、皮をちぎられて無残な有様のサンドイッチを口に押し込んだ。ハムと野菜サラダに無残なパンを添えた物を颯子が咀嚼し終える頃には、まき散らされたパン屑は綺麗に食い尽くされていた。
パン屑が尽きたことに不満を覚えたのか、一羽の小鳥がそのうちに颯子の体を啄んだ。ああ、多少なりともパンを食べた颯子からもパンの香りや味がするからかと私は冷静に考えた。だとすると、もっと多くの量のパンを食べた私も狙われるだろうかと身構えた物の、そう言う気配は感じられなかった。
なるほど、生きた獲物は狙わない種類なのかもしれない。颯子が死体と間違われるのは無理ないのだ。彼女の放つ言葉には、殆どいつも死の匂いが付きまとっていたから。まだ生きて動いていたとしても、四捨五入すれば死体のような物なのだろう。無知な小鳥が10の死体と5の死体を区別できるはずが無いのだ。
にこにこと笑いながら、颯子は少しずつ肉を晒していく。目の前の人間が餌係では無く餌そのものであると気付いた小鳥たちは、一羽、また一羽と餌に群がった。
「素敵でしょ。可愛い鳥に食べて貰って飛んでいくんだよ。私を食べた鳥は、広い意味では私なの。私はそうして私の命を自然に帰すの」
「颯子、それは無理だと思う」
颯子の傾いた首に小鳥が肩を伝ってとことこと寄っていく。曝け出された首筋に小鳥のくちばしが食い込んだ。鮮血が吹き出し、白い小鳥が一瞬赤く染まり、溶け込んで肉色になった。遠目から見ていると、一個の巨大な肉塊が颯子にのし掛かっているように見えた。
「鳥葬に使う鳥ってのはハゲワシなんだ、そんな小さな鳥が肉を食うもんか」
「ハゲワシ?」
「多分あんたの趣味には合わない感じの大きくて強そうな鳥」
「そうなんだ、困ったな。可愛い鳥が良いのに」
傾いたままの颯子の首は食べ進められ、白や黄色の脂肪が少しずつ見え隠れしている。今の所無事な眼球がぐるり、ぐるりと回り、一点で止まる。血肉に群がる無数の小鳥を集めて固めたような、巨大な鳥が寄ってきたのを視界に捕らえたらしい。
「小さい方が可愛いけど、この子でもいいや。妥協だよ妥協」
「体のつくりそのまま大きくなったって食性は変わらないだろうよ。体の大きさに対する消化器官の割合は同じなんだから」
多分本来植物食性であろう鳥たちは、飽きずに颯子の血に群がり続けている。柘榴を食って人間の血の味を忘れなさいと言ったのはどこの誰だったか。生の柘榴を食べた記憶は無い。無いので人間から柘榴のような味がするという事を私は否定できないのだった。案外颯子は彼らにとって良い食事になっているのかもしれない。
「和子ちゃんは物知りだけど、ロマンってものが無いよねぇ」
「肉は鳥に食わせると言う事でまあ良いとして、骨はどうするの。嘴じゃ骨なんて砕けないよ」
「そうなの?」
もはやどこから発声しているのかわからない有様の颯子はまた首を傾げた。傷口が広がり骨が覗く。
「肉だけ食わせたって骨が地上に残ってしまう。そのうち見つかって火葬されるよ」
鳥たちは颯子の頸椎を一心不乱に突き、削り始めた。まるで私の言葉に拒否反応を示すように。
「燃やされるの?」
「あんたが言い出したんだ、無駄に燃やされて何の役にも立たずに石の中に閉じ込められるなんて絶対嫌だって」
「そうだったねぇ、骨も有効活用しなきゃ……」
骨が見えていない指の方が少なくなった右手を、颯子は私に見えるよう掲げたため、私は人間の骨とは想像している程純白では無いと知った。体を張って私の知識を増やしてくれたお礼に、私は手元のティーカップを掲げて、一つ教えてやることにした。
「ま、数億単位で年月が経てば、化石燃料になるかもしれないね」
「化石燃料って、石油?」
「そういう事。プラスチックの原料」
無論、さっきまで私達が口を付けていたこれも、石油、則ち死骸から出来ている。ボーンチャイナと呼ばれる高級食器は、牛の遺灰を利用して作ると言う。片や安価な大量生産品、片や数百年前から珍重される高級品。真逆に見える2種類のカップは、元を辿ればどちらも死骸なのだ。
「そっかそっか、プラスチックは死骸から出来てるんだ。私達の生活は加工された死骸によって成り立っているんだねぇ」
「あんたの場合は遺骸。身元が割れてるから」
「後世からの呼び方なんてどうでも良いのさ、重要なのは意味のある死を出来るかどうか」
殆ど骨と筋だけになった左足を軸に、颯子はくるりと回ろうとした。しかし肉を失ったそれでは体重を支えることは出来ず、颯子の体は血をまき散らしながら崩れ落ちる。テーブルから落ちたティーカップのように、颯子の体は腸をぶちまけた。
その衝撃で驚いて飛び去った鳥も多かったが、飛び散った血肉に寄ってきた鳥が同じだけいたので、結局颯子を啄む鳥の数はそう変わらなかった。
そうしているうちに、最早首の皮一枚で繋がっているような状態だった腕、脚、首と言った、胴体から飛び出た部分が、とうとう最後の砦を崩された。颯子の首がごろりと落ちると共に、鳥たちが一斉にこちらを向き、鳴いた。その血走った、非難の視線を真正面に受け止めて、何だか頭がくらくらした。
そうだよ、颯子は私のせいで死んだよ。
そう思ったところで気が付いた。この庭に颯子はもういない。
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