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花咲か遺骸の夢
「桜の下に死体が埋まってるって言うよね」
窓の外を見つめて颯子は藪から棒に言った。この程度の発言は想定内である。
外出の許可が殆ど出なくなってから、颯子は以前にも増して頓珍漢な発言が増えた。前以上に死についての話ばかりする、というよりその話しかしなくなった彼女が鬱陶しくはあれど、怒る気にはなれなかった。白い部屋に根を張った颯子の腕は、植えたての苗のようだった。実を付けることの無い苗ではあったけれど。
「まあ何かしら埋まってるでしょ、昔から有る木なんだから」
「死体が埋まってると綺麗に咲くって言うよね。それって桜だけ?」
言わんとしていることは何となく分かる。自分の遺骸を肥料にして一花咲かせたい、そういうことだ。植物の根元に死体を埋めれば肥料として作用するだろうから、どんな植物であれ死体の元に咲けば綺麗に色づくのだろう。今まで読んだ本を思い返してみれば、確かに桜が多数派ではあるものの、紫陽花や薔薇にも似たような話が合った気がする。
「桜だけ特別ということは無いんじゃない」
「じゃあ何で桜だけそう言うんだろう」
「単に花としてメジャーだからじゃない」
メジャーな花と言えば、桜以外にも梅やコスモス……まあ季節ごとに様々な花がある。その中でも桜に死の印象が付きまとうのは、桜の元で死にたいと詠った俳人のせいだろうか。
「桜は本数が多いから死体も埋めやすい、木は草みたいに枯れないからバレにくいって訳だ」
「いや、どうかな。桜は意外とちょっとの傷で枯れるし、ソメイヨシノなんかは遺伝子が皆同じだから病気であっという間に全滅するって話も」
「でも枯れてる桜の木って見たこと無いじゃん。ま、生きてるのもそんなに見たこと無いけど」
「素人目には枯れてる桜と生きてる桜の区別が付かないだけだと思う、樹木医なんかが見たら一発で分かるんじゃない」
「木にもお医者がいるんだ、何するの?」
私が何でも知っていると思い込み、何でも訊ねる癖は、最期まで変わらなかった。人間の医者が颯子にしていることも分からないのに、木の医者のことなど分かるものか。それでも私は「せめて最期まで笑顔でいさせてあげて欲しい」という医者からの言葉に従って、颯子をがっかりさせるようなことは言えないのだった。
「折れた枝くっつけたり、虫食い治したり。神社とかの大事な木にやるらしい。完全に治すというよりは延命措置ってことも多いらしいけど」
「そっかそっか、桜はあたしと同じか」
「あんたは別に折れては無いし食われてもいない」
視界の中の颯子は、昨日もそうであったように五体満足である。体の内部まで万全かと言われれば別なのだろうが。
「でも、治らないのに高い金払って惰性で生かされ続けてる。否定するなら大事にされてるという部分」
颯子は窓枠を引っ掻きながら、壁に掛けられたカレンダーに目をやった。窓の外の景色とカレンダーに描かれた絵は、けして手が届かないという点で、颯子にとっては大差ないのかも知れなかった。
カレンダーには満開の桜の水彩画が印刷されている。絵で見る桜は、実際の桜よりも濃い色をしていると思う。本物の桜は花びら一枚で紅色だと分かるほどに色づいてはいない。それでも桜を絵に描くときは、皆一目で分かるほど色を付けようとする。そこにあるのは現実に存在し得ない概念の桜。桜のイデアだ。もし颯子が本物の桜の木を見ることが出来たら、色の薄さに驚いただろう。
「桜の木に犬の遺灰を撒くと花が咲くんだっけ?人間の灰だとどうなるんだろう」
「……知るか」
「えー、じゃあ試してみてよ。案外綺麗な花が咲くかもしれないじゃん」
こいつは覚え違いをしているが、花咲かじいさんが撒いた灰は犬を直接燃やした物では無い。正直者は殺された犬を埋めた所から生えた木を臼にして大切に使っていた。だが、紆余曲折あってその臼は燃やされ、灰になって手元に戻ってきた。
つまり、撒かれた灰は草木灰…植物質の物だし、犬の骨は埋まったままだ。だから動物の遺灰を直接木に撒いたって何も起こらない。無意味な筈だ。なのに、いつしか中間の話が抜け落ちて、犬の灰を撒くと花が咲くという話が広まってしまった。
自分の灰が綺麗な花を咲かせる想像に心躍らせる颯子には、わざわざ教えなかったが。
概念の桜に、自分は花を咲かせられるはずだと勘違いしたままの灰を撒くとどうなるのだろう。思い込み同士が混じり合って、より鮮やかな花が咲くのかもしれない。未だに夢に見る臓物のような色の。
「桜って放っておいても来年も咲くのかな」
当たり前の事を聞くなと笑いたかったが、そう言えばこいつは見られない可能性があるんだったと思い立ち、ただ黙って頷いた。
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