2列にお並びください

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 2列にお並びください。  人型のピクトグラムのビジュアルと共に、 その文字が目に入った。地下鉄のホームで電車を待っている。都心ではない。休日の午後だが人はそれほどいない。私は手元のスマートフォンに視線を戻した。  強風と共に電車が来ると、せっかくセットした前髪に別れを告げなければならず顔をしかめる。こんにちは、乱れ前髪さん。プシュー、と開くドアを抜けると、混雑はしていないが座る席はなかった。ドア前に立っている人がぽつり、ぽつり。降車駅までしばらくあるため、私は座っている一人に目星をつけてその前に立った。なんとなく3つ先の大きめの駅で降りそうな気がする若者。  プシュー、と次の駅で人が乗ってくる。ぽつり、ぽつり。逆に席を立つ人は周りにはいなかった。近くのドアから乗ってきた男性は、軽く見回し車両内の席に空きがないことを認識すると、Uターンをして元々ドア前に立っていた別の男性の真横に落ち着いた。  プシュー、さらに次の駅で人が乗ってくる。私はスマートフォンをいじりながらも、ドアから入ってくる人に反応してしまう。中年女性が二人乗ってきた。どこかで素敵なランチをするのかもしれない。二人は先程の男性と同様車両内を見回すと、顔を合わせて苦笑いをしながらドア前の男性二人の後ろに収まった。近くのドアの前に立つのは4人になった。  プシュー、大きめの駅に停まる。何人か席を立ったが、残念ながら私の前に座る若者は微動だにしない。そこそこ人が乗車してきた。空いた席にそそくさと座る者もいたが、足りなかった。席取りゲームにあぶれた人は、ドア前に立つ人の一員になった。私の近くの男性の二人とマダム二人はまだ降りていなかった。マダム2人の後ろには、いつの間にか5人が追加されている。追加されている? そう、マダムの後ろには、1人のサラリーマンと1人の若者がいた。彼女達1人の背後につき1人並び、さらにその男性2人の後ろには親子がいた。親子は、サラリーマンの後ろに父親が、若者の後ろに長女らしき小学校高学年くらいの子が、その子の後ろに小学校低学年くらいの男の子が立っていた。弟らしき男の子は、まっすぐ姉の背中を見ていた。  ドア前には現在9人が立っている。何か違和感を感じるのは、3人の親子は反対側のドアのすぐ横にいながらも、あくまで前のサラリーマンや若者と同じ向きに並んでいることだった。それを言うと、その男性2人もどちらかというと通路を挟んで逆のドアの方が近い。むしろドア前の人たちに忠実に続かずとも、私のように横に逸れて誰かの前に立ってもいいのではないか。ドアが開く方向の問題か?  私はふと反対を向いた。続く通路の両側に一定距離でドアが配置されている。同じだった。各ドア前には、同一方向を向いて並ぶ人々がいた。まるで映画のチケット売り場のように。電車の切符売り場のように。お一人様もカップルも3人組も4人以上の家族も、皆2列に整列していた。奇妙だった。並んでいた何人かが降りても、次に乗ってきた人々がまたその後ろに並ぶ。2列に——。私は唐突に、電車に乗る前に見た注意書きを思い出した。2列にお並びください——。いやいやいや。私が見たのは乗車時に対する注意書きだった。電車の中で降車を待つときのためのものではない。 「まもなく◯◯、◯◯です」 不思議な現象に身を置いている間に、目的の駅に着く。プシュー、並んでいた人たちが何人か降りる。私も席を立ち、降りる。  きれいだ——。ホームに降り立った私の第一印象は、それだった。美しい、とても。人々は皆きっちり2列になって階段を登っていた。エスカレーターも両側2列、漏れなく並んで上昇して行く。改札へ向かう人、出た人、入ってくる人、全ての人が前を歩く人の影を踏むかのようにきっちり後に続き、そのどこもが2列だ。私はいつかイギリス旅行で見た宮殿イベントの兵隊達を思い出した。今目の前にいる彼ら彼女らは、どこを見渡しても2列だった。どうなっているの——。私は立ち止まった。私以外が皆規則正しい動きをしているため、邪魔な私を器用に避けて行く。混乱の中、近くの壁に見たことのあるものが貼ってあった。 「2列でお並びください」 あの注意書きだった。2列でお並びください——。私は鳥肌と足の震えを感じながら、2列で移動する人々の波をできる限り見ないように走り、地上へ飛び出した。しかし地上へ出た私は、凍りつくように息を呑むことになった。  地上でも、歩く人、人、人、全員が「2列に並んでいる」。そして街中にあの奇妙なポスターが張り巡らされていた。2列にお並びください——。右から来る人、左から来る人、前、後ろ。驚いたことに自転車も同様、規則正しく2列に並んで通行していた。一体、これは——。 「すみません。乱列取締員のものですが」 「はい?今なんて——」 「えー、こちら東口、東口。奇行種を発見。確保し取締本部へ連行します。どうぞ」 「え」 私はその男性が何と言ったのかも理解させてもらえないまま、強く腕を引かれて黒い車に乗せられた。膝が震えてうまく歩けない。 「ちょっと——」 すぐに走り出した車に恐怖を感じる間も無く、それ以上に私は別のある事実に対して絶望に近い何かを感じた。ああ、ああ、ここは片側一車線だったのに。  私を乗せた車も含め、全ての車は2列に並んで走行していた。
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