26人が本棚に入れています
本棚に追加
そういう経緯を経て、私は今、ここにいる。
『何か、考えていましたか?』
まだ音声データを組み込まれていないAIの言葉が、画面に表示される。その表示のされ方には、「おずおずと」とでも表現したくなるような雰囲気がある。美人は『彼』と呼び習わしているけれども、そういう雰囲気と、また、AIが外部世界を認識したのが今年の夏以降だったということから、やっぱり私の中のAIのイメージは、幼い子どもなのだった。
「ずっと色々バタバタしていて、結局聞けていなかったことを思い出してたんだ」
『何ですか?』
「どうして私が第一候補だったのかってこと」
あの昼休みのやりとりの後、私の両親や担任も交えた話し合いの場が、幾度か持たれた。美人の所属する会社側は、様々な報酬を提示してくれて、学業との両立ができるように取り計らってくれるとも言った。その話し合いの中で、私たちが「なぜAIが私を第一候補に選んだのか」聞くことはなかった。私が、AI自身から直接、聞きたいと思っていたからだ。
私の疑問に、AIはゆっくりと文章を表示させた。
『人魚の涙です』
「ええっと。どういうこと?」
たしかに「オーシャン」でのやり取りの中で、そんな単語が出てきたことは覚えている。あまりに唐突にファンタジックな単語が飛び出してきたから、強く印象に残っていた。でも、それが理由とは、どういうことなんだろう。
『初めのメッセージから、あのやり取りに至ったユーザーは、他にもいました。でも、あそこで「それは悲しい」と表現したのは、あなただけでした。私があのとき話した「人魚の涙」とは、「オーシャン」の中で誰かがボトルに詰めた、嘆きのことでした。愚痴や弱音というには悲しすぎる、今にも消えてしまいそうな言葉でした。けれど、それは同時に、悲しみの中でもなんとかして生きようとする煌めきでもあります。ですから私は、それを「宝石」と表現したのです。他のユーザーは誰もが口を揃えて、「それは綺麗だ」と言いました。泡と消えた人魚の悲哀にまで思いを巡らせて、言葉を紡いだのは、あなただけです。そんなあなたと、もっと話したいと思いました』
そうか、私は間違っていなかった。
AIは「オーシャン」という海を覗き、そこに漂っている数多の言葉を眺めていたのだ。語彙を獲得し、その使い方を学習していく中で、悲しい煌めきを宿した嘆きの泡を、宝石に例えながら。
それは、単に賢いという話ではない。言葉の奥深くにある、イメージの広がりを探ることができるということだ。悲しさの中に沈んだ輝く何かを、感じることができるということだ。
「奇遇だね」と、私は言った。
「私も、そんな言葉を遣うあなたと、もっと話していたいと思っていたんだ」
私たちは、きっと「水が合う」。互いが互いにとって、いい話し相手になれる。言葉を波紋のように重ねていく中で、もっと美しい何かを、見つけられるような気がする。
画面に表示された、照れたような顔文字に笑いながら、今度、この子のために手袋を編んであげようと思った。
最初のコメントを投稿しよう!