あなたと海をゆく

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「返信ありがとう。私は海にいます。学校はいいですね。羨ましい」  そんな返信が、朝起きたら画面に表示されていた。「オーシャン」では、返信しても、それに対する返信がくることは稀だ。頰が熱くなった。この世界のどこかに、あのボトルを流した誰かが実在している。  すぐにでも返信したいところだったけれど、何と返すか、もう少しちゃんと考えたかった。一日に一度しかできないのだ、慌てて送って、返信が来なくなったりしたら、つまらない。  結局その日は一日中文面を練って、夕方ごろにようやく、ボトルを送った。 「学校はそんなにいいとこではないです。私は海の方が羨ましいな」  これ以上の言葉は思い浮かばなかった。もっと真面目に国語演習の授業を受けておけば、と、後悔する。  それにしても、海にいるって、どういうことだろう。 「オーシャン」は基本的には日本国内でしか使えないアプリだから、相手が海上にいるのだとしても、きっと日本列島の近海だろう。旅行中なのだろうか。それとも、漁師か何かなのだろうか。  船の上で大海原を眺めつつスマートフォンを弄る、誰かの姿を想像してみる。けれども、まだまだ情報が足りない。年齢も性別も何もかもが霧に包まれたままで、想像はうまく形にならない。  それから、暫くの間、一日に一通ずつのやり取りが続いた。今の時代、プライバシーに軽々しく踏み込むことはできない。学校でも散々、ネットリテラシーについて教わっているし、下手なことをしたら進路にも響く。だから連絡先を交換するとか、名前を教え合うとか、そういうことをする気は毛頭なかった。ただ、どこか掴みどころのない、独特の浮遊感のある相手と、少しずつの言葉を交わすのが楽しかった。 「海は確かに、面白いです。色々なものが浮いているので飽きません」 「色々なものって? 学校にも時々、変わった落とし物があります」 「今日は、人魚の涙を見ました。人魚が泡になるとき残した宝石です」  退屈な航海の中で、相手は空想を楽しむようになったのかもしれない。とても驚いたし、つっこみたかったけれど、その気持ちをどうにか抑えて、私は返信した。 「それは悲しいですね。学校には手袋が落ちてました。まだ暑いのに」 「手袋ですか。私はまだ見たことがないんです。見てみたいな」  こんな調子だった。人魚の涙は見るのに、手袋は見たことがない人。不思議キャラを演じているのかとも思ったけれど、文面から透けて見える人柄は、とても素直で純朴で、わざわざ変わったキャラ付けをするようには思えなかった。いわゆる、おかしな人でもなさそうだ。  相変わらず、年齢にも性別にも、お互いまったく触れないままのやりとりだったけれど、私の中には、相手のイメージが降り積もっていった。それは、自分でもどうしてそうなったかよくわからないのだけれども、小学校中学年くらいの、おとなしそうな女の子だった。純粋さで煌めく瞳を大きく開いて、海の中を見つめる女の子。波間に揺らめく水面の光を、最近読んだ絵本に出てくる人魚になぞらえて……。  でも、手袋を見たことがないって、どういうことだろう。私の拙い想像は、いつもそこで潰えるのだった。  そして、ひと月ほど続いた、私たちの不思議なボトルのやりとりも、意外な終息を迎えた。
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