あなたと海をゆく

4/7
前へ
/7ページ
次へ
 残暑は去り、冷たい空気をブラウス越しにも感じられるようになってきた、ある日の昼休み。私は突然、全校放送で呼び出しを受けた。進路指導を受けている三年生が呼び出されることは頻繁にあるものの、私はまだ二年生で、部活にも所属していないから、まったく心当たりはない。授業中の居眠りで怒られるのかな、なんてことを思いながら会議室へ行くと、私を呼び出した担任の隣には、見知らぬ美人が立っていた。 「はじめまして」  美人は綺麗な声で言いながら、綺麗な名刺を差し出す。 「あ、え、はあ。初めまして……」  名刺の受け取り方なんて、まだ習ってない。慌てながら名乗る私に、美人はにっこりと微笑んだ。 「想像していた通りの方ですね。ほっとしました」  想像していた通り? ほっとした?  混乱する私と美人を置いて、担任は立ち去ってしまった。漠然とした不安感を抱きながら、私は長机を挟んで、優雅に微笑む美人と向かい合う。  机の上に、さっき貰った名刺が置いてある。会社はそこそこ有名で、そこそこ安定したサービスを提供している筈だ、という曖昧な知識しか出てこない。 「学生さんには馴染みが薄い社名かもしれませんが、弊社はメッセージ交換アプリ『オーシャン』の企画・製作・運営を行なっているんですよ」 「『オーシャン』の?」  ようやく反応らしい反応を返した私に、美人は大きく頷いた。 「今日も、『オーシャン』についてのお話をさせていただくために伺ったんです」  途端に、何かいけないことをしてしまったのだろうか、という不安に襲われた。思い当たる節はまったくないけれど、無知によって何かをしでかすことは、あるかもしれない。例えば私が送ったボトルが何らかの利用規約に違反していたとか、誰かが会社宛に通報したとか。  身を固くした私に、美人は首を振る。 「安心してください。あなたは何も悪いことはしていませんから」 「そ、そうですか」  とは言え、やはり何の思い当たる節もない訳で、緊張は解けない。美人は、ゆっくり話し始めた。 「最近、弊社ではAIの開発に力を入れております。段階を踏んで出来ることを増やすつもりですが、現段階では、文章のやり取りによって人間とコミュニケーションをとれるように訓練しています。そこで、ひと月ほど前、AIが書いたボトルをランダムでユーザーに配信しました」  ひと月ほど前。と言うと、ちょうど私があの、気になるボトルを受け取った頃のことだ。その時期に、「オーシャン」関連で私に関わりのありそうなことなんて、他には思いつかない。 「そうです。あなたが受け取ったあのボトル……『今どこにいますか?』という質問が、そのひとつです」 「じゃあ、あれはAIが」  はい、と美人は頷いた。私は呆然と、その営業向きの完璧な表情を見つめる。あれがAIの書いたメッセージだったということは、このひと月、私は……。 「計画の都合上、AIの訓練もメッセージの配信も秘匿させていただいておりますが、お陰でようやく、開発の次の段階に踏み出す目処が立ちました」  まだ話を呑み込みきれていない私を置いて、美人の話は核心に触れそうな雰囲気を漂わせる。私は慌てて、次の言葉が始まる前に声を上げた。 「あの、待ってください。じゃあ、私が送ったボトルは、AIが読んで返信していたってことなんですか。全て?」 「はい、そうです。プライバシーに関わる話題になりそうな場合は返信を控えるよう指示しておりましたし、メッセージの内容は我々社員が見られないようにしてありますので、ご安心ください」  そういうことを知りたいのではなかった。ただ私は、私がどきどきしながら送ったメッセージを読み、返してくれた相手が、定められた言葉を返してきていただけなのかどうかを知りたかった。 「それってつまり、ボットってことですか?」  美人はそこで、白い歯を見せた。今までの、どこかよそよそしい冷たさを感じさせる笑みとは違う。よくぞ聞いてくれました、という言葉が顔に出ている。 「ボットとはまったく違います。我々が開発しているのは、自ら学習し、思考する、完全自律型のAIです。『彼』はまだ開発途上ですが、それでも人間と同じように思考し、言語を操ることができるのです」 「じゃあ、ボットじゃないんですね」 「ええ。ボットではありません」  悠然と断言する言葉に、私はようやく落ち着きを取り戻した。このひと月の間の私の言葉が、気持ちが、向かった先にいるのが一個の人格なのだと分かって、ほっとした。 「さて、ここからが本題です」  美人は、ずいと身を乗り出した。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加