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 ずっと昔、母が読んでくれた絵本は、小さな男の子が旅をしながら沢山の人と出会うお話だった。その出会いは男の子を笑顔にして、そして泣かせたりもした。それでも男の子は旅をやめなかった。人との出会いを拒絶しなかった。  いいことばかりじゃないのに、どうして旅を、人と出会うことをやめないの?と訊くと、母は微笑んだ。  人との出会いには全て意味があるのよ。結果的に悲しいことになっても、その出会いにすら、なにかしらの意味があるものなの。だからあーちゃんも、人との出会いを大切にしないといけないわ。そのすべてに意味があるのだからーー。  意味のない出会いはない。すべてにおいて。そうきっと、この出会いにも。 「少し歩くぞ。向こうの山小屋までの道とは違って、そこまでの登りじゃない。ただしよそ見はするな」  車が止まった場所は、山奥にある細い山道をひたすら下りたその先、落ち葉だけが重なるなにもない場所。こっちだという圭吾のあとを追い、鬱蒼とした道を歩く。  言葉のとおり、最初の数メートル以外はほとんど高低差がなく、吊り橋までの道と同じぐらいの平坦さだった。けど足元は道なき道。注意しなければ転んでしまいそうだ。  脇目も振らずその道のりに目を凝らせば、なんとなく遊歩道の名残が伺えた。所々に木の柵だったと思わしき朽ちた残骸が落ちている。まるで忘れ去られたように。 「ここもあの山なんだ。全然景色が違う」 「がっかりしたか」  前を歩く大きな背中がわずかに振り向く。美空は首を横に振った。 「ううん。確かに吊り橋のほうが視界もよかったし、山小屋までの道も明るい登山って感じだったけど。でも、この場所もいやじゃない。むしろ、山にもいろんな顔があるんだってわかって嬉しい」 「いろんな顔か。確かに」  かすかに圭吾が笑った気がした。  そうして歩くこと40分。辿り着いたそこで美空は目を見開いた。 「え、もしかして、それに乗るの……?」 「もしかしなくても乗るな」  圭吾は淡々とそれの準備をしている。木の柱にくくりつけてある縄をほどき、カメラが入ったケースをそれにおき、そして、いまにも倒れそうになっている古びた小屋からオレンジ色のそれを二つ持ってきた。 「あの、……本気?」 「冗談でわざわざここへ来るバカはいない」  圭吾は手早くオレンジのそれを装着すると、もう一つを美空に押し付けた。 「着ろ。ベルトもきちんと閉めろ」  そういうなり、圭吾は先にそれに乗ってしまった。美空はオレンジのそれを握りしめて、目の前のそれを凝視する。 「で、でもそれ、壊れそうに見えるんだけど。ていうか、すでに壊れてます的に見えるんですが」 「古いだけだ。メンテはしてある、たぶんな」 「たぶんっ!?」  目を剥く美空に圭吾はため息をつくと、片足だけ戻して手を伸ばした。 「そこは冗談だ。管理者に事前に確認してある。問題ない、利用してもいいってな。わかったら来い」  美空はしばし躊躇したのち、オレンジのライフジャケットを着ると、意を決して圭吾の手を取った。次の瞬間、ふわりと体が浮いた。思わず圭吾の肩にすがりつく。 「大丈夫だから大人しく座ってろ。一応定員は七人だ。沈むことはさすがにない」 「う、うん。わかった。絶対に動かない」  美しくも透明に澄んだエメラルドグリーンの水を横目に、木で出来た小さな船の上で美空はカクカクと頷きながら、1ミリも動くまいと頬をひきつらせた。
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