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深い山々が連なる地形に作られた道路は、都会のように複雑な模様を描くほど綿密ではない。ゆえに地図上では近く見えても、実際の移動はかなり時間がかかったりする。
時刻はあっというまに午後を迎え過ぎ去り、コンビニの駐車場から見える太陽はまもなく消えようとしている。その沈みゆく太陽を見つめながら美空は決めた。
コンビニで飲み物を買うついでにトイレに入り、旅館に電話をすれば、スマホの向こうで女将が、昨晩よりさらに悲痛な叫びをあげた。
『いけませんっ、どうか今夜はお戻りくださいっ』
「大丈夫だから心配しないで。今日はね、友達と一緒にファミレスに入ってパンケーキを食べたの。すごく美味しかった。そのあと秘境の地っていわれる場所にも連れていってくれて。どちらも友達と会わなかったら絶対に行けない場所だった。きっと一生の思い出になる」
『お嬢さま……』
ぐっと言葉に詰まった理由は、やはり美空の事情を知っているがゆえだろう。話したのは母だろうか、兄だろうか。もしかしたら父かもしれない。予約はやはり、自分自身ですればよかった。そう考えるも今更だ。
「明日は必ず戻ります。だからもう一晩、私に自由をください。友達と過ごしたいの」
友達という単語をおそらく信じていないだろう女将。けど彼女はもうなにもいわなかった。
『なにか困ることが起こりましたらすぐに連絡を。夜中でもかまいません』
それだけを残して通話は切れた。美空はスマホを胸に抱き、ありがとうとつぶやいた。
ミルクティーとブラックコーヒーを買って外に出れば、車にもたれて煙草を吸う男。その視線は遥か遠く、沈むゆく夕陽に向けられている。髪は相変わらずボサボサで、無精髭もそのまま。けど端正でキレイな横顔。
「お待たせ」
「ああ」
二人で車に乗り込んだところで、美空はブラックコーヒーを渡しながら首をかしげた。
「このあと圭吾はどうするの?また山小屋、はないか。ホテルとか旅館?」
「ああ、旅館は明日。今日は車中泊、」
そこで言葉を途切らせた圭吾に美空はにっこり笑んだ。
「車中泊ね。それも楽しそう」
無言になった男はなるほど、なかなかに勘がいい。にこにこ笑って見つめていると、圭吾は心底いやそうな声でつぶやいた。
「おまえは自分の旅館に戻れ」
「やだ」
「ふざけんな」
「ふざけてないよ。本気。だからほら」
美空はスマホの画面を圭吾に見せた。そこでは、もう一押しすれば警察に繋がる用意ができている。
「私のことおいていったら、ここに電話する。拉致監禁されたっていう。車のナンバーもいえる。旅館の女将さんは私が友達といるって言葉を疑ってるから、どんな証言するかわからないよ」
大事になったらごめんね?と首をこてりと倒し。
「悪いけど脅しじゃないよ」
なんて、昨晩この男がいった言葉をそっくりそのままお返ししながら微笑んでみれば、圭吾はこちらを凝視したままなにかをいいかけ、けどなにもいわず、目の前のフロントガラスを睨みつけると舌打ちを繰り返し、やがてハンドルに両手をかけて深々と項垂れた。
「……おまえ、マジでありえねぇ」
「うん、よくいわれる」
美空はくすりと笑った。
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