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「早くしろ」
「えー」
「えーじゃねえ」
圭吾に睨まれ、美空は仕方なく袋の中を覗いた。中には二種類のサンドイッチ、甘そうなパンとおにぎりが数個。そして一番下にお弁当。美空はくすりと笑った。
「なに笑ってんだ。いいからさっさと選べ」
「うん」
だってまた焼肉。他にもお弁当はあったのに。圭吾の好きな食べ物をひそやかに知った美空は、そっと頬をゆるめる。
「えーと、じゃあこれ」
選んだのはシャケのおにぎり。一番小さかったから。コンビニのおにぎりなんて初めてだ。というより、コンビニ自体ほとんど利用したことがない。
「これって、どこから開けるの?え、なにこれ」
おにぎりを目の前に掲げ、360度回転させていると、大きな手がそれを奪っていった。そしてあっという間にフィルムが剥がされていく。
「おまえ、絶対にお嬢様だろ。自殺志願者のお嬢様はマジで使えねえな。たく、ほら食え」
「だからそれ、どっちも違うから。まあ使えない自覚はあるけど。それより圭吾、剥がすの早いし上手。もしかして天才?」
「……普通だ」
またしても美空に呆れているらしい圭吾は、もはやため息さえ面倒になったのか、額に手を当て項垂れている。
「なんでがっかりしてるの?褒めたのに」
「……いいから食え」
「はーい」
投げやりに片手でさっさとしろ的な圭吾にいただきますとお礼をいい、口に運んだおにぎりは普通に美味しかった。小さかったおかげで全部食べれた。そして焚き火の向こうで焼肉弁当を食べ終わった圭吾が、湯気を上げているケトルで入れてくれたのはココア。粉と紙コップがセットになったそれは、先ほどのコンビニで売っていたらしい。
「わざわざ買ってくれたの?」
「おまえ、コーヒー苦手だろ」
「そうだけど、圭吾が入れてくれたコーヒーはいやじゃなかったよ」
わずかに視線を上げた圭吾に美空は微笑む。けど圭吾はなにもいわず自分のコーヒーを手にした。美空はココアを両手で持ちながら、そっと目を細めた。
ーーあたたかい。この男はとても、あたたかい。
街の喧騒も人のざわめきもない山奥で、会って二日目の男と二人きり。昨晩も今日も、決して褒められる状況ではない。それでもそうしたかった。この男との時間を共有したかった。この男の瞳が捉えるその先を見たかった。
闇に埋もれるように夜が刻々と深まっていく。二人の間でゆらめく赤い炎。ぱちぱちと爆ぜる音が優しく響く。それだけが響く世界。今宵は風さえその姿を消し、空は雲一つない。天を仰げは、無数の星がその姿を瞬かせていた。
「わあ、すごい星。なんだか手が届きそう」
手を伸ばしてくすりと笑った美空は、ね、そう思わない?と圭吾に同意を求める。けれども圭吾は同意するでもなく空を見ることもなく、美空をじっと見ていた。
「なに?どうしたの?」
首をかしげると、圭吾がはっとしたようにいや、と小さく首を振った。
「ええ、なになになに?気になる。え、気になるんだけど」
なんてかなり食い下がると、圭吾はなぜかいやそうに口を開いた。
「……べつにたいしたことじゃない。ずいぶん印象が変わると思って。それだけだ」
「印象?」
「……髪。それと化粧」
「え、圭吾気づいてたんだ。なにもいわないから気づいてないかと思った」
「そんなわけあるか」
アホか。不機嫌につぶやき煙草をくわえる圭吾に美空は、そっかと笑った。ここへ向かう途中、日帰り温泉の利用を決めたのは圭吾で、美空もありがたく便乗させてもらった。ただコテで巻かれていた髪は真っ直ぐに落ち、濃いめのギャルメイクはすっぴんに変わってしまったが。
「子供っぽいよね」
ストレートに戻った毛先を指でつまみながら気恥ずかしさを誤魔化すように肩をすくめる。
「逆だろ」
「逆?って?」
美空が首をかしげると圭吾はしばし沈黙し、そして煙草を焚き火へ投げ入れると、おもむろに立ち上がった。
「魔がさしてシャッターを切ったら本気で落ち込むって話だ」
そんな言葉を残して車の方へ歩いていく男の背を美空は目を瞬きながら見送る。
「なにそれ。本気で意味不明なんだけど」
わずかに唇をとがらせた美空がその意味を知るのは24時間以上あと。再び夜が訪れそして、この地で迎える最後の朝焼けを見つめていたときだった。
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