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相談事があるといえば、圭吾は意外にもすんなり中へ入れてくれた。あの不機嫌な顔からして絶対に断られると思ったのだが。
そんな思いが顔に出ていたのか、圭吾は面倒そうにため息をついた。
「おまえのことだから、騒いでやるとかいいだすだろ。こんな夜中に押し問答するぐらいなら、とっとと入れたほうがいい。それだけだ」
「ええー、酷い。ダメだっていわれたら、大人しく帰ろうと思ってたのに」
「どうだか」
まったく信用されていないらしい。けど、出会ってからの行いを顧みればその判断は妥当なのだろう。
足を踏み入れた圭吾の部屋は美空の部屋と同じタイプだった。寝室と次の間からなる二間は洗練された和風モダン。庭を望める縁側にはゆったとした応接セット。
フロアライトだけが灯された室内は薄暗く、窓の向こうから月明かりがわずかに差し込んでいた。
「お酒飲むんだ」
応接セットのテーブルの上にはビールの缶が数本。
「そりゃ普通にな」
「そっか」
圭吾はどこから見ても大人の男だ。改めてそれを実感する。大きな手がテーブルの上にあった煙草を一本取り出し、カチリと小さな炎を灯す。障子の竪框にもたれた男は煙を一つ吐き出した。
「で、相談事ってなんだ」
「……うん」
ちょっと長くなるんだけどとつぶやき、美空は縁側に立つと闇に浮かぶ月を見上げた。
「私ね、いままでずっと、いろんなことを我慢してきたの。ほんと全部っていってもいいぐらい。あれもダメこれもダメ。ダメなことばかりで、気づいたら諦めることが上手くなってた。感情も消せるようになってた。周りを騙すことが得意になって、すごいな自分って感心してたら、生きてるのか死んでるのか、よくわからない毎日になっちゃって」
軽く肩をすくめて、意味不明だし頭沸いてそうだよね、これって厨二病かな?と茶化してみる。けど圭吾は黙ったまま、笑うこともバカにすることもしない。だから続けた。
「でもこの地に来て、ようやく呼吸を少しだけ思い出せた。そして圭吾に出会った」
美空はゆっくりと圭吾に視線を向けた。
「自殺志願っていわれて、ありえないって態度でいたけど本当はね、あながち外れてないなって思ってた。死にたいわけじゃないけど、いつ死んでもいいって思ってる自分がいたから」
薄暗闇でゆらめく紫煙の向こう、わずかに目を細めた男に美空は笑んだ。
「でも圭吾に出会って、圭吾の眼差しの先はいつも泣きたくなるほどキレイで、命の終わりと始まりがあって、生と死が共存してた」
じりと煙草の先が赤く染まる。ゆらめく煙と男の息遣いはなにを考えているのか。呆れか、もしくは興味すらないのか。それでもいい。引き返すことはできない。したくない。美空はそっと浴衣の帯の結び目を両手で握った。
「そしたらね、急に自覚した。いつ死んでもいいなんて大嘘だって。本当は死にたくない。いま私は生きている。それを実感したいんだって強く思った。でも何年も死んだように生きてきたから、どうすればいいのかわからないの。呼吸は思い出せてもそれだけ。だからお願い、圭吾」
これは相談事なんかじゃない。もはや懇願だ。
美空の細い指先がわずかに震えながら帯の結び目を解いた。息を呑んだのは美空か、それとも男のほうなのか。ふわりと滑るように浴衣が肩から足元へと落ちていく。浴衣以外なにも身に付けていない裸体が、淡い月明かりの下であらわになった。
「生きているんだってこと、教えてほしい」
その大きな手で、長い指先で、そしてその体で、この真っ新な体に命の鼓動を宿らせて欲しい。その証を残してほしい。それは圭吾にしかできない。
そう告げて、伏せていた瞳を男へと真っ直ぐに向ければ、その先で煙草の灰がわずかに散った。
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