01-3

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 体を絡ませ、熱を分け合い、夜は刻々と更けていく。ふかふかなベッドの上で美空は圭吾という男を見つめた。 「圭吾ってこの旅館の常連でしょ」 「かもな」 「お金持ちなんだね」  このタイプの部屋は、この旅館ではセミスイートに分類される。 「おまえもだろ」 「かもね」  圭吾の真似をして美空は笑う。シーツに包まれた素肌の熱もようやく落ち着き、滑らかな感触が心地いい。ベッドの端に座り、煙草を吸う圭吾の背中は大きく、鍛えられた肉体は逞しくも美しい。 「でもなんでわざわざ季節外れ?」  紅葉も終わり、山を訪れる人間はぐっと少なくなる。この男の目的は写真。温泉ではない。 「冬の空が好きなだけだ。晴れてるときは特にいい。混じりのない透明さにシャッターを切りたくなる」 「そうなんだ」  なんだかわかる気がした。重くなりはじめたまぶたを懸命に上げながら、一秒でも長く男を見つめる。煙草の煙をくゆらせる男の横顔が視界に入った。わずかに伏せられたその瞳の色を美空は知っている。 「狼の目」  そうつぶやくと圭吾がわずかに振り返った。 「圭吾の瞳。それカラコンじゃないよね」 「ああ、そうだな」 「珍しいよね」 「かもな」  狼の目と称される琥珀は、日本人にはあまり見られない希少ともいえる色彩だ。漆黒のような男の黒髪がその瞳を際立たせている。美空は笑んだ。 「圭吾に似合ってる」 「そうか」  煙草をくわえた唇が笑った気がした。 「もう寝ろ」  戻れといわない男に、美空は嬉しいのか泣きたいのかわからなくなる。けどきっと、わからないほうがいい。美空はそっと目を閉じた。  すべてはまるで夢のあと。終わってしまえば、陽炎のようにゆらめき消えていく。ゆるりと目覚めた美空は静かに体を起こすと、数度瞬きをする。そしてそれに気づき頬をゆるめた。 「残して、くれたんだ」  胸元にある昨晩の名残を指先でなぞった。それは男に抱かれた証。生きている証。まるで嵐の如く男に翻弄され続けた夜が幻ではなかったと告げている。  美空は隣で眠る男をそっと見下ろした。柔らかな枕に精悍な顔を埋め、鍛えられた肢体を乱れたシーツに沈ませている。  改めて見れば、この男はやはりキレイだ。美空は目を細めると、男の額に散った髪をそっと払い、音を立てずにベッドから降り立った。寝室を出て次の間の片隅に落ちていた浴衣を羽織ると、美空は顔を上げた。ーー夜明けだ。  足音を忍ばせて縁側に立つ。窓の向こうに広がる空は、刻々とその色を変化させていく。漆黒の闇は薄れ藍色となり、やがて燃えるようなオレンジが空を染めていく。一瞬たりとも同じさまをみせることのないその奇跡。また始まっていく世界を美空はじっと見つめた。  ああ、なんて静かなのだろう。この心も体も、すべてがーー。カシャリ。小さな響きに振り向けば、いつの間にか起き出していた男がカメラを手にして立っていた。 「もしかして、いま撮った?」 「かもな。魔がさしたってやつだ」 「なにそれ。そういえば河原でもそんなこといってたよね。どういう意味?」  羽織っただけであった浴衣を体に巻き付かせると、美空はちょっと不機嫌に唇をとがらせる。圭吾はカメラを下げると、レンズのあたりを回しながら肩をすくめる。 「俺は基本的に人間を撮るのは好きじゃない。むしろ嫌いなほうだ。ただおまえは冬の空に似てる。だから魔がさした」 「その説明じゃわからないんだけど」 「やっぱりアホだな」 「アホで悪かったわね。じゃあ、そのアホにもわかるように説明してください」  美空がむうと頬をふくらませると、圭吾はわずかに目を細めた。 「人間を撮ることが嫌いっていったろ。そんな俺でもシャッターを切りたくなるほどおまえは透明で、驚くほど一筋すら混じりがない。つまり、」  圭吾がおもむろにカメラを構えた。 「キレイだって意味だ」  美空は目を見開いた。瞬間シャッターが切られた。男の最後の言葉は、男の口から出たとは思えぬほど甘い告白だった。
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