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「なにニヤニヤしてんだ」  わずかに低くなった男の声は、不機嫌さを増している。けどいまは少しも気にならない。まあけど、たしかにこの男のいうとおり、今日のファッションは山向きではない。自分はそこまでバカじゃないし、もちろんアホでもない。たぶん。ただ、どうしても譲れなかった。夢みていたことの一つだから。だからだろうか、思わず訊いてしまったのは。 「……私、ギャルに見える?」 「あ?なにいってんだ。どこから見てもギャルだろうが。ただしアホがつくけどな」  だんだん面倒になってきたのか、腕を組んで投げやりに答える男は心底呆れているらしい。勝手に呆れていればいい。こっちにはこっちの事情があるのだ。それよりもだ。  自分を見下ろして首をかしげる。そっか、ギャルに見えるんだ。そっか。 「ふふ」  思わず笑いがこぼれる。肩から半分落ちたオフホワイトのニットはざっくり系で今年の流行り。シフォンのミニスカートを合わせて足元は厚底ブーツ。真っ赤なルージュにツケマツゲ。ラメ入りのアイシャドーにピンクのクリームチーク。腰まである髪はコテで何度も巻き直した。  くるりとカールした茶色の毛先をジェルネイルで彩った指先でつまみながら、頬を最大限にゆるませる。やればできるじゃん。 「おい」 「なに」 「まじでアホだろ、なに嬉しそうに笑ってんだよ。あー、もういいわ。自殺志願じゃねえなら早く帰れ。もうすぐ日が暮れる。ここまで来たんなら帰りも戻れるだろ。国道まで一本道だ、迷う場所もない。わかったらとっとと行け、本気で邪魔」  しっしっと右手で追い払う男にむかついた。だからここはあんたの私有地かっての。 「あのさ、さっきからおじさん何様のつもりよ。とっとと行くのはそっち。じゃあね、さようなら」 「黙れアホギャル。誰がおじさんだ、誰が。俺はここに用があるんだよ。正確にいえば、おまえがさえぎっているそこの景色に用がある」 「景色?」  わずかに眉を寄せながら振り返ってみる。そこはどこまでも広がる大自然。圧倒はされるが紅葉を終えた山々はどこか寒々しい。この男のいうとおり、まもなく夕暮れ。空は雲に覆われ、なんのおもしろみもない。 「この景色のどこに用があるわけ?」  首をかしげて男を見れば、男は下げていた大きなバッグをどさりと下ろし、中からカメラを取り出した。デジカメとかそんなんじゃない。一眼レフというものだ。しかもレンズを複数から選ぶ熱の入れよう。 「おじさん、カメラマンなの?」 「べつに。ただの趣味だ。そして俺はおじさんじゃねえ」  本気でいやそうな顔。けどカメラを構えた目は真剣で、その横顔は精悍だった。そう、おじさんなんかではなく大人な男。最初からわかっていた。 「ふーん、趣味ね。いわゆるカメラオタクってやつ?」 「あ?……あー、かもな。わかったらそこをどけ。チャンスを逃す」 「チャンスってなに」  眉をひそめたそのとき、頬にわずかな温もり。そして染まっていく視界。はっとして視線を上げると、いつのまにか雲はなく、そこでは太陽が燃えていた。そう、世界はその色を変えはじめていたのだ。美しくも静かに。  気づいたら呼吸すら忘れて見入っていた。すべてが落ちるように変貌を遂げていく。  赤く燃える太陽が果てなき空を茜色に染め、広大な山々も、留まることを知らない川までもが凌駕されていく。哀しいほどにそれは圧倒的で、一歩も動くことはできず、瞬きさえ忘れた。  それは永遠の一瞬。ひどくとても美しかった。命の息吹を感じた。泣きたくなった。心が、ーー震えた。  1ミリも動かないギャルの存在は邪魔なはず。けど男はなぜか無言で、ただシャッター音だけを響かせる。幾度も幾度も。その音さえも、美しかった。涙がこぼれたことは気づかなかった。
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