02-2

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 桜井圭吾写真展  218,160sの永遠  写真誌フォトシックの発売と同時に駅構内や街中の巨大液晶モニター、テレビにネット。様々な媒体で写真家桜井圭吾の個展の新たなる概要が解禁された。  これまで個展名など皆無、その情報も雑誌とインターネット専用ページのみ。それ以外は必要ないと却下していたこの写真家は、まさにコーディネーター泣かせ。それでも毎回個展は人気を博しているため、そのスタイルは変わらなかった。  そんな写真家の今回の変化は、本人をよく知る幾人かの人間の首を傾げさせた。そのうちの一人伊藤武彦はタクシーから降りると、慌てて駆け寄ってくる青年にやれやれと笑みを浮かべた。 「本当に君は律儀だね、荒川君。わざわざ出迎えなんていらないといったのに」 「いえっ、そんなわけにはいきません」  出迎えに遅れてはならぬと急ぎ駆けてきた荒川は、わずかに乱れた呼吸を整えると、にこりと笑んだ。 「ではご案内します」  伊藤を先導して歩く荒川は、ゆるくウェーブさせた髪を今風にセットし、量販ではないスーツを着こなす洒落た青年であるが、中身は生真面目な体育会系である。 「けど今日で本当によかったんですか。設営はすでに完了していますが、まだスタッフが残っておりまして」  わずかに振り返る荒川に伊藤はうなずく。 「かまわんよ。こちらこそ前日の忙しいときにすまんね」 「いえいえ。あとは片付けと最終チェックだけですので。でも前日にいらっしゃるなんて珍しいですね。ご都合が合わなかったんですか?」 「いや。そういうわけじゃないんだ。ただ前日なら圭吾もいると思ってね」 「あー、なるほど。確かに桜井先生は開催中、まったく顔を出しませんからね。けど今回はなぜか、会場に詰める予定らしいですよ。はっきりいって驚きです。どんな心境の変化なのか。急に展示の総入れ替えをするって言い出されてからは驚くことばかりで、もうほんと倒れそうになりましたよ」 「ほお。それはそれは」  伊藤は片眉を上げた。確かにそれは驚く。世間には少しばかりの才能であっても傲り、我が儘をいう人間もいるが、桜井圭吾はそんなタイプではない。撮影以外は好きにしろというスタンスだ。むろん個展に限らず写真の選定は厳しいが、決めてしまえば変更は皆無。いままでがそうだった。  荒川いわく、心境の変化という一言で済ませるには気になるところが多すぎる。 「なにがあったんだろうねえ」  伊藤のつぶやきに荒川が首をかしげた。 「訊いたんですけど、理由はないとかいわれました。総入れ替えの連絡を受けたとき、さすがに理由もなしに無理ですと悲鳴をあげたんですけど、内容を見たらやるしかないと思いました。今回の展示、どれも素晴らしいですよ」  荒川の顔からは、やり切った満足感が伺えた。間際になっての総入れ替えには苦しめられただろうに。 「そうか。それは楽しみだ」 「こちらです」  荒川に促された先を視界にとらえた伊藤はわずかに足を止めた。個展の初日を翌日に控えている会場の入り口には、大きなパネルが設置されている。  伊藤が前日にわざわざここへ来たのは、宣伝媒体として使用されているこの写真が理由だ。大きく引き伸ばされたそれは、伊藤の胸に懐かしくも未だ鮮明に残る弟子である男の起点。 「ますます気になるねえ」  伊藤は目を細め、桜井圭吾が作り出す彼だけの世界に足を踏み入れた。 ーー218,160sの永遠  それは16:26と記された美しくも哀しい茜色の空から始まっていた。
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