02-2

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ーー運命との出会い。  伊藤の言葉に圭吾はなんと答えたらいいのかわからず、ただ肩をすくめた。 「相変わらず先生はロマンチストだ。大袈裟ですよ」 「大袈裟にいったつもりはないのだがね。僕の正直な気持ちだよ。もしや自覚がないのかい。こんなにもすべてがそれを証明しているというのに」  伊藤は圭吾と共に順路を戻りながら、展示の数々に視線を向けた。それに気づいた圭吾は苦笑する。自覚はある。とっくに本気である。 「もちろん自覚はありますよ。ただ運命を信じるタチでもないので」 「ふむ。確かに君はそういうタイプだね」  圭吾は基本ドライだ。特に女に関して。それなりに年を重ねている男のプライベートは、あまり褒められたものではないことを伊藤も知っている。ときに恋人と呼べる相手もいたようだが、それでも伊藤に紹介してくるような間柄ではなかったのだろう。 「けど今回だけは信じてもいいのではないかな。写真は嘘をつかないよ圭吾」  ゆっくとした二人の歩みは、気づけば立ち止まっていた。そこは01:13。満点の星空の前。伊藤はそれに視線を向けた。 「彼女はこの空を見ることはできたのかい」  なにげない問いかけ。圭吾は誤魔化さなかった。 「ええ。だだこの時間にはもう眠ってましたが」  確かめるまでもなく、この夜空はかの地である。この輝きはおそらく山の最奥だろう。車中泊であることは訊くまでもない。 「けど君は眠れなかった。いや、眠らなかった。これは彼女のためだけに切ったシャッターだね」  様々なものを長年見据えてきた一流カメラマンの目はやはり侮れない。隠しても簡単に見抜かれる。伊藤は圭吾の返答を待たずに一人結論づけた。 「278,160秒は彼女と一緒に過ごした時間か。なるほど。圭吾、君のほうがよほどロマンチストだ」 「勘弁してください」  顔をしかめる圭吾に伊藤は笑った。二人は再び歩き出す。すれ違うスタッフの会釈に目で返しながら、伊藤は圭吾の肩をぽんと叩いた。 「圭吾、僕はね、これまで君の女性関係に口を出そうと思ったことはない。けどいつか唯一の人に出会ってほしいと思っていた。僕が家内に出会ったように、君にもいつかとね。そのいつかがようやく訪れたことを嬉しく思うよ。とてもキレイなお嬢さんだ。今度、我が家に連れてきなさい。家内も喜ぶだろう」  だが返答がない。伊藤はおや?と首をかしげた。 「なんだい圭吾。僕らに紹介するのはいやかい?君とは長い付き合いだし、僕や家内は君の親のような気持ちでもあるんだが」 「いえ、いやとかそうじゃなくて」  なにやら煮え切らない圭吾に伊藤の片眉が上がる。ん?とさらに首をかしげれば、圭吾はいいづらそうに口を開いた。 「じつは連れていく以前の問題というか、まずは捕まえることが先というか」 「は?」  伊藤らしからぬ反応に圭吾は罰が悪そうにうつむき、あーうーと唸っている。師であり尊敬する伊藤の前では普段の傍若無人さもどこへやら。いやそれどころかもはや子供のよう、というのは高岡の談である。 「つまりなんだね?荒川君を泣かせて個展の総入れ替えをした理由は」  じいいと伊藤の目に見つめられ、誤魔化しは通用しないと判断した圭吾は観念した。 「連絡先どころか、フルネームさえわからない彼女を捕まえるには、情けない話ですが向こうから現れてくれないとどうにもならない。だから現れたくなる内容にする必要があったってことです」  苦々しげな圭吾に目を丸くした伊藤は数秒固まり、そして弾けるように笑い出した。しんとしたフロアに響く伊藤のそれは、なんとも嬉しげな笑い声だったと、のちにスタッフが語るほどのものだった。
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