02-3

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02-3

 田原早苗は目を見開いたまま、恋人である小山祐介の腕をぎゅううと掴んだ。その裕介も早苗に劣らず見開いた目でそれを凝視していた。  早苗にとって写真家桜井圭吾の名前は有名だから知っている程度。写真にこれといった興味もないため、個展の存在も駅の構内に張り巡らされていたポスターで知った。その個展に足を運ぼうと決めたのは、ポスターに使われていた写真が理由だ。  それは何度も目にしたことのある写真で、なるほど桜井圭吾の写真だったのかと長年不明だった案件に終止符が打たれ、ではポストカードなどでも入手しておこうかと、気軽な気持ちで裕介と連れ立って訪れた個展の会場。そこでまさかの展開が待っていた。  元々興味がないため期待もしていなかった写真展。けど気づけば無言で夢中になっていた。隣の裕介もすげえと言葉少なに見入っている。そうして展示を見て周ること1時間弱、すっかりファンになってしまったところで、早苗は一つの写真に眉を寄せた。そしてしばし凝視。 「これ……」 「どした」  早苗が食い入るように見ているのは11:39。空にのばされた白い手。正確にはその指先を彩るネイルだ。 「これ、なんだか見覚えあるんだけど」 「え?」  静かな会場内で大きな声は憚られる。二人は顔を寄せ合いひそひそと会話を交わす。 「だからネイル」 「ネイル?ああ、おまえの趣味だろ」 「そうなんだけど。って、そうじゃなくてこっち。写真のネイル。これさ、たぶんだけど……私がやったやつ、かも」 「えっ!?」 「バカッ、しーっ」  ぱしりと目の前にある頭を叩いた早苗は顔をしかめると、周囲の視線から逃れるように裕介の腕を掴んでその場を離れた。 「おい早苗、どういうこと?」  小声で訊いてくる裕介に早苗は小さく首を振った。 「わかんない。混乱してるから、ちょっと考えさせて」  ゆっくりと歩きながら早苗は頭の中を整理した。あのネイルはたぶんではなく、明らかに早苗がやったものだ。なぜならあれは、早苗が親友のために考えたオリジナルで施したのはその親友にだけ。  早苗は数ヶ月前を思い出してみる。初めて一人旅をする親友のためにネイルだけでなく、メイク一式も揃えてあげたのは冬の初め。ギャルメイクをあれこれと指南して、ついでにギャルファッションを入手するためショップにまで付き合った。そのときの親友の嬉しそうな顔はいまも鮮明に思い出せる。  その親友の手がなぜか写真に写っている。しかも有名な写真家の写真展の写真に。 「そう、写真家の写真展の写真に」  順序立てようと口に出してみたが、余計に分からなくなった。 「ああもうっ、なんか写真の連続でややこしい。だからつまり写真に写ってるってことでしょ。たまたま写ったとか……え、もしかして心霊写真?」  まさか。いやでも人間の念って怖いって聞くし。なんて、ぶつぶつと口の中でつぶやきながら次の角を曲がり、二枚の写真を視界に入れたところで早苗は今度こそ固まった。その目を大きく見開いて。  なんだよ早苗と首をかしげた裕介も数秒遅れて固まった。その目を丸くして。今度は大声を出さずにすんだ。というより驚きすぎて声が出なかったのだ。それは早苗も同じようで黙ったまま立ち尽くしている。そのまま数分はいただろうか。 「……なにこれ」  最初に言葉を発したのは早苗。 「なんだろ、な?」  かろうじて裕介も答える。二人とも片言なのは揃いも揃って動揺している証拠だろう。 「ねえ裕介、これ目の錯覚かな」 「そう、かも?それか、他人の空似とか……?」  早苗は裕介の腕をぎゅううと掴んだ。 「そう見える?」  恐ろしいほどの低い声で問い返され、裕介は口元をひくつかせた。 「……いや。そのあれだ、本人に見える」 「だよね。しかもこのタイトル。これ、あの子の名前でしょ。そうとしか思えないでしょ」 「確かに」  二人とも本気で目の錯覚とか他人の空似だと思ったわけではない。ただ理解が追いつかなかったのだ。いまも追いついていないが。  なぜ。どうして。いやだから、なんであの子?ぐるぐると二人の頭は混乱を極めている。 「これさ、透さんとかお医者さんの従兄さんとか知ってるのかな」 「知ってたら速攻飛んできて無駄に権力使って撤去させてるだろ。って、いま気にするとこそこじゃないような」 「そっか。そうだよね」  早苗は黙った。裕介も黙った。そして早苗は藁にも縋る気持ちで一つの可能性を口にしてみた。 「もしかして心霊写真とか、そんなオチ」 「ないだろ」 「幻覚とか」  「もっとないだろ」 「……だよね」  当たり前に却下された。それもそうだ。 「とりあえず落ち着こう」 「うん」 「とりあえず外に出よう」 「うん」  二人は固まった足をようやく動かした。ここが最終らしく次が出口のようだ。早苗は最後に振り返り、もう一度それを見た。5:06と5:10。そこには長年の親友がいた。  美しき空。ーー美空(あおい)
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