02-4

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 最初の写真は16:26。茜色の空。あの吊り橋からの光景だった。男が最初に見せてくれた奇跡。そしてそれは、その写真だけではなかった。その次もその次も全てーー。  その先に広がっていたのは、何ヶ月も前に過ぎ去り記憶だけとなった今も尚、美空の心に深く残り続けているあの永遠の刻。  静かなフロア。真っ白な壁に一つ、また一つ、美空の大切にしていた三日間が浮かび上がっていく。 「なによこれ」  つぶやきは知らずと震え、美空は瞳をゆらめかせた。視線をそらすこともできず、引き返すこともできず、まるで過去に舞い戻ったかのような錯覚。  そう、この個展はあの三日間のみで出来ているのだ。永遠の一瞬。まるで美空の心を知っているかのような個展のタイトルに泣きたくなる。全てに泣きたくなる。美空は唇を噛んだ。 「なんなのよ。どういうつもりよ。だいたいこれ、いつの間に撮ったのよ」  生と死が入り混じったあの場所で空に手を伸ばしているのは誰なのか。訊くまでもない。そのまま数分それを睨み、そして次の角を曲がったところで美空はギョッとして立ち止まった。一瞬意味が分からなかった。 「……は?……え?……なに、これ。なによこれ!!」  ようやく理解した美空は慌てて駆け寄り、間近でその二枚を見つめた。 「うそ、でしょ……」  ぽかんと口を開けた美空は瞬きを繰り返す。 「え、もしかして違う人、とか?」  なんでつぶやいてみるも、22年間ずっと見てきた自分の顔を見間違うわけもなく。どう見ても目の前の写真は自分だ。自分以外の何者でもない。  美空は恥ずかしさで熱くなっていく頬を両手で押さえた。 「やだなんで?なんで私?なんで2枚も?しかもしかも、スッピンだよっ!?そこはせめてメイクしてるやつにするものでしょっ。そこ大事でしょ、最低限のマナーでしょっ。女心わかってないっ。無神経すぎ!最低!バカ!ほんと圭吾のバカ!」  思わず叫ぶと、くっと低い笑い声。美空はぴたりと固まった。 「無神経で最低なバカで悪かったな」  短いフレーズ。投げやりな響き。それだけで分かる。誰なのか分かる。けど怖くて振り向けない。勇気がでない。なぜなら再会してしまったら、もう後戻りはできないからだ。生涯きっと忘れることができなくなるからだ。それが後悔となるのか、それともーー。 「けどしかたないだろ。おまえの写真はその2枚だけだった。そしてあの日あの時、シャッターを切らせたのはおまえだ」 「な、なによそれ」  美空は振り向かないまま、かろうじて抗議の声をあげる。 「忘れたのか?魔がさしたっていったろ」  こつりと足音が一つ、また一つと近づいてくる。美空の心臓がどきりとゆらぐ。 「キレイだと思ったからだ。そして気づいた」  低い声と共に男の気配が近づき、そして。 「おまえ以上にキレイな女を俺は知らない」  美空は固まったまま呼吸だけを震わせた。 「たぶんこれからも」 「た、たぶんってなによそれ」  思わず言い返してしまう。すると男は笑った。その笑いは美空のすぐ後ろ。 「なら、おそらくだ」  なんてふざけた言い草だろう。この男は相変わらずだ。だからまた言い返してしまう。 「それ、どっちもどっち」 「それもそうだな。だったら、きっとって言葉にしておく。俺はきっとこれから先も」  男の声は美空の耳元で響いた。 「おまえ以上にキレイな女を知ることはない」  美空は瞳を潤ませた。この男がこんなことをいうなんて。それこそ。 「バカじゃないの」  その罵倒に、隣に並んだ長身の男はため息を吐くように笑った。 「かもな」 「どうかしてる」 「かもな」 「ふざけてるの?」 「ふざけた気持ちでこんな個展、開けねえだろ」  美空は黙った。 「……泣くな」 「泣いてない」 「泣いてんだろ」  美空の頬に男の体温がふれた。男らしくもキレイなその指先が濡れた頬をそっとなぞる。  美空は唇を噛み締め、ゆるゆると視線を上げた。そして観念するように顔をのぞきこんでくる男を見やった。  そこには数ヶ月前に出会った男。生と死、奇跡の三日間をくれた男。生きている証をくれた男。美空の初めての男。 「……圭吾」  涙に潤む視線の先で、桜井圭吾がわずかに目を細め小さく笑った。 「やっとこっちを見たな」  
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