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美空は固まったまま息を呑む。震えそうな息を呑む。
「……そんなの嘘」
「嘘いってどーする」
「騙そうとしてるとか」
「騙す理由がないだろ」
「からかってるとか」
「このシチュエーションでそれいうか」
投げやりなため息が一つ。美空はぐっと唇を噛んだ。目の奥の熱さを堪えるように。またもやこぼれそうなそれを堪えるように否定を口にする。
「だって三日間しか一緒にいなかったんだよ?しかも数ヶ月も前。そんなこと信じられるわけ」
「なら、いまから信じろ」
美空は今度こそ息を震わせた。心臓も震えた。そう言い切った圭吾の瞳はひどく真摯で、切なくなるほどに真っ直ぐで泣きたくなる。はっとして慌てて瞬くも効果はなく。
「だから泣くな」
「泣いて、」
ない。という言葉は圭吾の胸元に吸い込まれた。
後頭部を覆う大きな手。額に感じる男の体。わずかに香る煙草の匂い。あの夜と同じ圭吾の匂い。圭吾の体温。
「おまえにとってあの三日間がどうだったかわからないが、俺にとっては忘れたくない時間だ。俺は紛れもなくおまえに惚れてる。おまえが嫌じゃなければ」
美空の耳元で圭吾が低くつぶやいた。吐息を落とすようにそっと。
「俺の傍にいてくれ」
美空は呼吸を震わせると、ぎゅうと強く目を閉じた。
「そ、そんなこといって、後悔しても知らないんだから」
「そこは大丈夫だろ。おまえのメチャクチャぶりは、あの三日間で身に染みたからな、そこそこの耐性はある」
ため息をつくように笑う男に美空はちょっとむっとする。
「なによそれ」
「本当のことだろ」
「それはそうかもだけど」
美空とて、あの三日間の行いが世間の常識だと思っているわけじゃない。それを結果的に受け止めてくれたこの男は、実のところ懐が深く本当は寛大なる人間なのだ。それでも迷う。迷う理由は一つだけ。美空はじっと黙り込みそして。
「……私、健康じゃない」
一瞬、後頭部を包む男の手に力が入った。
「それがおまえのハンディってやつか」
美空はぎゅっと唇を噛んだのち、吐き出すようにしゃべった。
「そうだよ。私にはできないことが沢山あるの。みんなが普通にできることも私にはできない。なんでもないことも私には一大事だったりする。飲まなくちゃいけない薬も多いし、気をつけないといけないこともバカみたいにある」
「そうか」
「そうかって、圭吾はわかってない」
「なら、わかるように一つ一つ説明してくれ。俺も情報は得ておきたいし、理解もしておきたいからな」
「そうじゃない。圭吾の負担になるっていってるの。迷惑になるって、……圭吾っ」
強い力で引き寄せられた美空は、その胸元をドンと叩く。けど1ミリも隙間のない男の腕の中でそれはなんの意味もなく、さらに強く囚われただけだった。
「だから説明しろといってる。それに負担とか迷惑とか、それはおまえが決めることじゃない」
「でも」
「あのな、でもだのだってだの、おまえマジでいい加減にしろ。いいか美空。いま大事なのは一つだけだ。まずはそれだけを考えろ。俺の傍にいるかいないか、どっちだ。俺はいてほしい」
美空はひくりと喉をひきつらせた。頬に感じる男の鼓動。それはわずかに早い。まるで緊張しているかというように。じわりと涙が浮かぶ。一つ二つと浮かんではぽろりとこぼれる。
「なんか圭吾、ずるい」
「大人だからな。で、どうするんだ」
そんなの決まってる。美空もずっと忘れられなかったのだ。運命でもなければ会えないと思っていたのだ。それをこんなふうに抱きしめられて、照れすらもないストレートな告白を受けて、もはや嫌だなんていえるわけもない。
「いたい、よ」
美空は男の胸元をぎゅっと握ると、そこに頬を強く押し付けた。
「圭吾の傍にいたい」
「……なら、いてくれ」
ぐすんと鼻をすすりこくりと頷けば、男の腕に力がこもりそして脱力。急に体重をかけられて美空はよろめいた。
「ちょ、なにっ。お、重い……っ」
「おまえにムカついてる」
「は、はあ?」
よろめきながら美空が目を剥くと、急にまた抱きしめられた。
「な、なにっ?」
「マジでムカつく。マジで緊張した」
そんな男の告白が、美空の耳をくすぐった。
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