9人が本棚に入れています
本棚に追加
そのとき
──おにいちゃん、どこ? どこ行っちゃったの?
まっくらやみのなかで、せいいっぱいの声を出す。
──おにいちゃん! いじわるしないで、出てきてよ! おにいちゃん!!
おにいちゃんは、まいにいじわるなんかしないってわかってるのに。
──おにいちゃん、どこ行っちゃったの!?
なみだが目からこぼれて、ほっぺたをすべり落ちる。両手を持ち上げて目をこすると、手がぬるりとぬれる。
──おにいちゃん……。
のどと鼻に熱いものがこみ上げてきて、息ができなくて、声が出なくなる。
──おにいちゃん……。
ふいに目の前が明るくなった。少し褪せた緑色の風景のなか、おにいちゃんが立っている。
──おにいちゃん!
おにいちゃんの唇が動く。まいになにか言ってる。
──なにを言ってるの、おにいちゃん! わかんないよ、聞こえないよ、まい、おにいちゃんがなに言ってるのか、わかんないよ!
まい、泣いてるのに。どうして、いつもみたいにそばに来て頭をなでてくれないの? 大丈夫だよって、ボクがついてるからだいじょうぶだよって言ってくれないの!?
──おにいちゃん!
わたしには呼ぶことしかできないのに。叫ぶことしかできないのに。
おにいちゃんはわたしから視線をはずして、わたしに背を向ける。
──おにいちゃん!
そのまま走り去っていく。一度だって振り返ることなく。
「うん、忘れていいよ」
耳に届いたことば、ひとつ。
そのとき、わたしはおにいちゃんを失った。
最初のコメントを投稿しよう!