そのとき

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そのとき

──おにいちゃん、どこ? どこ行っちゃったの? まっくらやみのなかで、せいいっぱいの声を出す。 ──おにいちゃん! いじわるしないで、出てきてよ! おにいちゃん!! おにいちゃんは、まいにいじわるなんかしないってわかってるのに。 ──おにいちゃん、どこ行っちゃったの!? なみだが目からこぼれて、ほっぺたをすべり落ちる。両手を持ち上げて目をこすると、手がぬるりとぬれる。 ──おにいちゃん……。 のどと鼻に熱いものがこみ上げてきて、息ができなくて、声が出なくなる。 ──おにいちゃん……。 ふいに目の前が明るくなった。少し褪せた緑色の風景のなか、おにいちゃんが立っている。 ──おにいちゃん! おにいちゃんの唇が動く。まいになにか言ってる。 ──なにを言ってるの、おにいちゃん! わかんないよ、聞こえないよ、まい、おにいちゃんがなに言ってるのか、わかんないよ! まい、泣いてるのに。どうして、いつもみたいにそばに来て頭をなでてくれないの? 大丈夫だよって、ボクがついてるからだいじょうぶだよって言ってくれないの!? ──おにいちゃん! わたしには呼ぶことしかできないのに。叫ぶことしかできないのに。 おにいちゃんはわたしから視線をはずして、わたしに背を向ける。 ──おにいちゃん! そのまま走り去っていく。一度だって振り返ることなく。 「うん、忘れていいよ」 耳に届いたことば、ひとつ。 そのとき、わたしはおにいちゃんを失った。
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