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第1章 -3「相模湖から」
わけがわからないまま、「お父さん」と「お母さん」と私の生活が始まった。
「お父さん」は家から車で5分ほどのところに医院をもつ整形外科医。朝は三人そろって「お母さん」が用意する朝食を食べたあと、「お父さん」が医院へ行くついでに車で小学校まで送ってくれる。
ピカピカの真紅のランドセルに真新しい教科書とノート、マンガとかのキャラクターイラストなんかついてない無地の筆箱と下敷き、大きな花柄模様のサブバッグ。
……前の学校で使っていた、ムーミンの筆箱や下敷きはどこに行っちゃったんだろう。大事に使ってたのに。
学校ではすぐに声をかけてくれる子がいて、その子の友だちとも仲よくなった。勉強は前の学校で習ったところより進んでいて、最初はよくわからなかったけど、放課後、先生に教えてもらって追いついた。
学校は楽しかった。放課後の補習は大歓迎だった。図書室に入り浸るようになった。……家に帰りたくなかった。
だって、家には「お母さん」がいるから。
「お父さん」は、私が「おじさん」「おばさん」と呼ぶと、なにも言わずにテーブルをバンッと叩く。だから「お父さん」がいるときは、「お父さん」「お母さん」と呼ぶようにした。「お母さん」も笑みを浮かべて「どうしたの、麻衣ちゃん?」と答えてくれた。
でも「お父さん」がいないときに「お母さん」と呼ぶと、私に向けられた顔から表情が消えて、口元がぴくぴくと痙攣する。
目の部分だけぽっかりと穴が空いた、お面みたいになる顔が恐くて、見たくなくて、「お父さん」がいないときは、その人を「おばさん」と呼んだ。
学校から帰ると、お手伝いさんが用意してくれたおやつを食べる。それから、おばさんが「晩ごはんを食べなさい」と呼びに来るまで部屋にいる。
テーブルに並んだ夕食をひとりで食べて、ひとりでお風呂に入って、部屋に戻る。
私がダイニングにいる間、おばさんはリビングにいて、洗濯物をたたむ。お風呂に行くと、脱衣所にきちんとたたまれた私のパジャマや下着が置かれていた。
学校から帰ってから寝るまで、ほとんど顔を合わせることもなければ、言葉を交わすこともないのに。
いつもふんわりしている私用のタオルやアイロンがけされた私の服、きれいに洗濯された下着が、なんだか不思議に思えた。
土曜日とか日曜日とか祝日とか「お父さん」が家にいるときは、私が「お母さん」と呼んでも、おばさんは穏やかなままだ。
「お父さん」は「お母さん」と私を傍に寄せて、うれしそうに身近であった出来事や医院であったちょっとしたこと、ニュースの話題などを話す。
「お母さん」は控えめに相づちを打ちながら、言葉を挟むことなくニコニコと聞いている。
それは、きっと「お父さん」の考える「幸せな家族団欒」の図だったのだろうと、今なら思える。
でも当時の私は、平日の私とおばさんのようすを知らず、私やおばさんの気持ちを聞くこともせずに、ニコニコと自分の話ばかりする「お父さん」も、「お父さん」がいるときだけ「お母さん」になろうとするおばさんも、気持ち悪かった。
なにかがとてもおかしい家。私は間違ってここへ来てしまったんだ。
だから、私は待った。お兄ちゃんが私を助けに来てくれるのを。
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