#3🐣🐣🐣

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 結局服をどう返そうかと思っているうちに2限が終わっていた。俺も友人も今日は2限で授業は終わりだ。昼飯も食べずに帰っていった友人に取り残された俺は、とりあえずトイレに逃げ込んで、鏡を前に髪をじりじりといじっていた。だけど鏡に映る自分の顔すら直視できないからやめた。  個室に籠って今度は手鏡を取り出す。小さいから顔全体は映らない。うん、よし。これぐらいが安心できる。とりあえず今は肌にも特に問題はないようだった。先月買ったプライマーが優秀な働きをしてくれている。うむ、よし。こいつは殿堂入りだ。  どうして無駄に緊張しているのかわからなかったが、トイレに人が入ってくる気配を感じたから早々に出た。  この間会った時は俺がたまたま食堂にいたら衣笠がやってきて、当たり前のように前に座ってきた。ということは衣笠は普段から食堂を使っているんだろう。まずは食堂に行ってみようと思ったが、構内の混雑に今が昼休み真っ只中であることを思い出す。この間のように閑散としているわけがない。  というか衣笠が一人で飯食べてるわけがなくないか? 一昨日、衣笠が一人でいたことのほうが珍しくないか? 「……いや、別にそんな時もあるか」  とりあえず立ち止まってるわけにもいかないから、なんとなく図書館の方へ足を向けてみる。袖がくい、と引っ張られた。腕をたどるようにして伸びてきた手に手首を掴まれる。ぎょっとして思わず声が出そうになった。体がガチンと固まり、俺の手首を掴む手が今度は指を絡めてくる。手首から全身に鳥肌が立っていった。 「えへっ」 「いいいい~~っ離せッ!」  思い切り腕を振って後ろを振り向けば、衣笠がにこにこ笑っていた。細くなった目は人懐っこさに溢れてて、上がった口角の端から八重歯が覗く。一瞬だけそんな笑顔が見えたけど、反射的に視線を逸らしてしまったからピントすら合わなかった。 「あはは、そんな夜道でつけられた女の子じゃあるまいし」 「いや普通にビビるわ」  ビビるというかキモイわ。なんか。触り方が。なんであんなぬるって触るの。あんな触り方されたら衣笠じゃなくても鳥肌立ってたし、手振り払ってたよ。  衣笠を前にしながら、周囲に視線を彷徨わせる。落ち着かない。早く逃げたい。こんなにたくさん人がいるところで話したくない。 「斎間くんお昼まだー?」 「え? ああ、まだだよ」 「おけおけ。じゃ、食べ行こ」  再び手首を掴まれて、弾かれたように衣笠を見上げた。くっ、見上げなきゃ見えねえんだよな。衣笠は俺を見ることもなくただご機嫌に笑っていて、鼻歌を歌いながら長い脚ですたすた歩き始める。今度はすぐにするりと手首が離された。  歩く衣笠と小走りの俺。足の長さ違いすぎないか? 「え、なに、どこ? どこ行くの」  もうすでに食堂は通り過ぎている。なんならこの先はもう裏門だ。 「俺の好きな定食屋~。大学生は100円引き! 定食がなんと350円!」 「わあ食堂よりも50円安い」 「そして今ならなんと!」 「……なんと」 「斎間くんとご飯が食べられる!」  ぱあっと効果音付きで衣笠が振り返った。裏門を抜けた私道を自転車で走り抜けてきたおばあちゃんがちりんちりんと間抜けなベルを鳴らしていく。 「……帰っていい?」  俺は立ち止まって、鞄の中から借りていた衣笠の服を取り出した。メンズブランドで有名なアパレルショップの袋に入ってる。 「え!? 斎間くん今日2限で終わりでしょ? お昼食べないの?」  だからなんで知ってんだよ。なんで衣笠と食べること前提なんだよ。  衣笠の喉仏あたりを見上げていたら、衣笠が首を傾げるのがわかった。俺の差し出した袋を受け取る素振りはない。 「とりあえずご飯食べたら受け取るよ」  やられた。最悪。また流された。 「あー……俺、実は今日この後バイトが」  もうこの際嘘吐くくらい許してくれ。本当は今日はバイトないけど、無理にでも理由をつけないとこの状況から逃げられない。折れろ、と念を込めてちら、と衣笠を見上げてみる。 「嘘じゃん。斎間くん今日はシフト入ってないじゃん」 「え、なんで知ってんの……」 「うっそー! 引っかけただけでしたあ~」  なんなんだこいつ殴りてえ。 「うーんお腹空いたー」 「……ソウダネ」  結局八方ふさがりじゃん。おとなしく衣笠についていく以外に選択肢ないの? 唐突な腹痛とかじゃダメかな。  といっても衣笠の言う定食屋もほんのすぐ先だった。むしろここまで来て帰ろうとするほうが不自然になってしまう。  その定食屋はあまり目につかないような裏道にあって、周りのアパートや住宅と同化するようにして暖簾がかかっていた。知る人ぞ知る昔ながらの食堂って感じだったけれど、中に入ってみればサラリーマンや大学生らしき人で満遍なく席は埋まっている。  カウンター席に案内され衣笠の隣に座ったが、落ち着かなかった。 「そういや今日、いい匂いするね」 「いつもはしないの?」 「してるよ、いつも。でもこんな近くに来れたことあんまないし。いつもよりダイレクト」  ここにはよく来てるみたいだけどカウンター席に座ったことはないのだろうか。確かに厨房が近いこの席だと、肉の焼ける匂いとかゴマ油の匂いとか、醤油とバターの美味しそうな匂いがよく届く。 「なにかつけてる?」  スン、と衣笠が鼻を鳴らす仕草をするのが視界の端にかろうじて見えた。つける? 何が? 「え、換気扇?」 「何の話?」 「何が?」  思わず横を向いてしまって、ばちりと目が合った。思った以上に衣笠の顔が近くて、というか衣笠が俺の方に身を乗り出していて、額が当たるかと思ったくらいだ。  頬杖をついて俺を覗き込む衣笠は笑っているわけではなかったから、いつもの愛嬌もなく澄ました猫みたいだった。この完璧な顔面。  俺はひくつく頬をなんとか誤魔化しながら前を向きなおした。  二重? 末広二重? 奥二重? いつもわからない。そもそもまぶたが何重か以前に目の形と骨格だろう。鼻筋だって通ってるし。 「斎間くんの話だよ。こっち向いてくれないの」 「俺が店員なら男と男がカウンター席で見つめ合ってる場面には遭遇したくない」 「うっは、確かに」  ひとしきりケラケラ笑った後、衣笠はで? と言った。なにが、「で?」なのか分からない。何の話? 俺がで? って言いたい。 「斎間くんの匂い」 「臭い? ごめん。一席空けるわ」 「いい匂いって言ったじゃん!」  一瞬ドキリとする。恋が始まるほうのドキッじゃなくて、持ち込み禁止の携帯を授業中に鳴らしてしまった時のドキッに近い。 「知らないし。衣笠の匂いなんじゃないの?」  本当はちょっとだけ香水をつけてる。安物のお遊びみたいな香水は高校時代散々家族に煙たがられたから、今は奮発してる。  なんて知りもしないだろうし、知ったら引くんだろう。衣笠と違って天然でいい匂いじゃないからな。俺は汗っかきだからすぐ臭くなる。  じっと視線を感じたがちょうどいいタイミングで料理が来て、俺は沈黙を埋めるように夢中で定食を食べた。確かにかなりうまかった。
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