#1🐣

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「相変わらず目、合わないね」 「……」  衣笠の手元に視線を落としたまま、全身が強張る。 冷や汗がどっと流れてくるのが分かった。ばくばくとうるさく脈打ち始めた心臓がどんどん速さを増していく。あの一週間分の塩分が入ってるのかってくらいしょっぱかった味噌汁のせいであってほしい。 「俺~斎間くんに話しかけてから目が合ったの、入学式の一回だけ! それ以降どれだけ話しかけても絶対に目合わせてくれないじゃん?」 「いや、俺お前の友達でもないし、お前が話しかけてくるだけだし、お前の友達でもないし」 「二回も言わなくても聞こえてるって。てかめっちゃ早口ウケる」 「いや、なんか、あの、畏れ多いっていうか」 「なんだよそれ」 「照れた?」 「照れてねーよ」  かはっと衣笠が乾いた笑いを上げた。ぞっとする。マジのほうで怒らせた? まあいいや。懲りて俺のこと無視してくれるようになったら逆にいい。不快な思いをさせていたなら一応謝るけど。 「そうか。ごめん。じゃ」 「あ、ちょっと」  衣笠の横を足早に通り抜ける。通り抜けようとした。  がしゃん、と大きな音が響く。一瞬、フロアがしんとした。ような気がした。そんなの自意識過剰なだけかもしれない。  俺はしばらくの間ぽかんと口を開けていたが、目の前を髪の先から雫が伝って落ちていくのを見てゆっくりと顔を上げた。  衣笠がびっくりしたように目を丸くしている。つり目気味な猫目が見開かれて、ぱちりと瞬きをした。相変わらずニキビ一つない肌で、整った高い鼻筋と完璧な左右対称のパーツが作りもののようですらある。長いまつ毛、薄めの唇。濡れ羽色の黒髪。染めなかったのは正しい選択だ。  うわあ、いいな。この顔。この骨格。眉骨が出て彫りが深くて、完璧なEラインを作る横顔が羨ましい。  真正面から衣笠を見る機会なんて滅多にやってこない。俺はぼんやりと衣笠の顔を観察していた。見ているだけでこんなに自己肯定感ってやつが根こそぎ吸い取られていく顔はそうそうない。  衣笠はシンメトリーな顔を歪めると、慌てふためいて俺に手を伸ばしてきた。 「う、っわ、ごめん。マジでごめん! 俺だよな、俺にひっかかったよな?」  そうですね。通路にはみ出したお前の長い脚に引っかかりましたね。  おかげで大転倒した俺は皿をぶちまけ、机に体当たりし、衣笠の飲みかけの味噌汁を頭から被ることになった。別にいいけどね? これこそ最悪な日の最悪な俺にお似合いじゃん? 「ごめん~ごめん斎間くん~」 「いや別に。大丈夫だから。じゃあ」 「いやいやいやいや、さすがにこれは申し訳なさすぎるって。午後の授業は?」 「いや、もう帰るし」  衣笠は俺の味噌汁臭い髪をくしゃくしゃのハンカチで撫でるように拭いてくれていた。その手をやんわりとふりほどく。顔を見られることのほうが苦痛だった。今日の俺はコンディション最悪だから、どうせ味噌汁被ったくらいでそう変わらないけど。ブスがブスになるだけのマイナーチェンジみたいなものだし。  散らかった食器を片そうとしたら、その手を衣笠に掴まれる。俺の浅黒い肌は汚くて、衣笠の色白できめの細かい肌との対称に思わず顔をしかめた。 「嘘。斎間くん今日は3限に倫理学あるじゃん」  だからなんで知ってるんだよ。怖えよ。 「別に今日の倫理はサボろうと思ってたし。あの、元から。起きたときからずっと」 「なんで? 今日レポート提出じゃん」 「……お前、取ってないじゃん」  なんで知ってんの? しかも食い気味に遮ってくるし。 「え、いや……友達が」  人文の奴なんていたっけ? 必修被ってる学部が多いとかで倫理学取ってるのはほぼ社会学部の連中だと思うけど。もう一度衣笠の顔を見上げそうになって、思いとどまる。味噌汁を拭くふりをして顔を覆った。袖に肌色の汚れがついている。サイアク。顔見られたくない。  俯いたらぐっと手を引っ張られた。無理矢理俺を立ち上がらせた衣笠がなぜか親指を突き付けてる。どんな顔でそんなジェスチャーしてるのかはちょっと気になったけど、俺は頑なに顔を上げなかった。妙に明るい腹の立つ声が聞こえる。 「とにかく昼休みの間に着替えないと! うち近いから! ね! うち! おいで!」  俺の家もすぐそこなんだけどね。  言ったところで、申し訳ないとかごねられるんだろう。  しかたなく俺は従った。衣笠が満面の笑みを浮かべてることなんて、俯いていた俺は知りもしない。
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