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需要と供給
「元カノに会ったよ」
今日1日は羽織るものがないと耐えられないほどの寒さだったから、彼女は鍋を作っているのかもしれない。着ていたジャケットをハンガーにかける俺を彼女は菜箸を持ったまま見上げた。
「……へえ」
鍋からモクモクとたくさんの湯気が放たれている。ラックにハンガーをかけて彼女を一瞥すると、湯気で表情が霞んで見えた。正座をしている彼女の正面に腰を下ろし、鍋を直接覗けば薄い茶色の液体がグツグツと煮えている。
「これ何鍋?」
「ゴマ坦々鍋」
間髪入れず答えると、彼女は足を崩して箸の先で具材を突き始めた。使っているのは家族用の鍋ではない。1人暮らしの人向けの大きさの鍋。狭い円の中に窮屈そうに野菜や肉が敷き詰められている。
「これもう食べれんの?」
「うん。食べていいよ」
はい、と彼女は俺に取り皿を渡した。自分で取れという意味。きちんと火が通っているか確認しながら割り箸で具材を皿に投入していれば「あのさ」と彼女は訝しげに目を細める。
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