第三章「砂浜アゲイン」

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 どんなに悩んでいようとも、どんなに同居人との仲が拗れていようとも。人とは生理的欲求には抗えないもので、現在、俺は海の家内の個室トイレで用を足しているところである。 「なんか、やけに1日が長く感じるな」  溜まっていたものを出せば気分もスッキリというわけにもいかず。レバーを回しても水が勢いよく流れるだけで、悩みは頭に残ったままで。ジーパンを履き直して手を洗っても、もちろん何かが変わるわけでもない。  つーか、よくよく考えてみると、1日を通して何も状況が変わっていなかった。 「はぁ、マジでアイツが何考えてんのか全然分かんねぇんだよな……」  言葉足らずだったとはいえ『ちょっと今の関係を考え直してみない?』と言っただけである。さすがにあそこまで怒る必要は無いんじゃないかと思う。いつもみたいに『何言ってんだよクソ童貞』と言い返してくれば良いだろう。いや、別にアイツから罵倒されたいわけじゃないんだけどさ。そっちの方がまだマシってだけで。  というか、こっちが歩み寄ろうとしてるんだから、少しくらいは話聞こうとする姿勢くらい見せてくれてもいいんじゃないんだろうか。わざわざ車で送ってきてやったのに、なんで俺が悩まなきゃいけないのだろうか。  まあ、顔面に思いっ切りボールぶつけたのは完全に俺が悪い。でもアレもわざとやったわけじゃないんだし、あそこまで拗ねなくても良いんじゃなかろうか。  などと、(くだん)の理不尽ギャルへの不満が溢れそうになった時だった。 「い、岩崎くん、大変! リサが! え、えーっと、私泳げなくて! でもリサが大変で!!」  ドンドンドンという激しいノック音とともに聞こえてきたのは、随分と焦った様子の白木さんの声。セリフの文法がめちゃくちゃになっているし、ドア越しでも相当慌てていることが伺える。 「どうしたの、白木さん? とりあえず一旦落ち着いて、ゆっくり話してみて」  そんな彼女のことが心配になった俺は、ゆっくりとドアを開きながら声を掛けてみたのだが、 「い、岩崎くん! リ、リサが! リサが足をつったみたいで! 今にも溺れそうなの!!」  ドアを開けると、目の前には両目いっぱいに涙を溜めた白木さんが立っていて── 「お願い、岩崎くん! リサを助けて……!!」  その悲痛な叫び声を聞いた瞬間。気づけば今までのクソみたいな思考など一瞬で吹き飛び、身体が勝手に海の方へと駆け出していた。 ◆  数十メートルほど先で、もがいているリサを見つけて海に飛び込んだ直後。呼吸もままならないほどガムシャラに泳いでいるはずなのに、頭は自分でも驚くほどに冷静だった。  服が重くて泳ぎづらいし、脱いでから海に入れば良かったな、とか。  俺もそんなに泳ぐの得意じゃないし、もしかしたら溺れちまうかもな、とか。  先に救急に連絡するべきだったな、とか。  何気にアイツまでの距離が結構遠くてキツいな、とか。  アイツはなんであんな遠くまで泳いでんだよ、とか。  仮にアイツのところにたどり着けたとしても、帰りにアイツを背負って泳ぐのって無理なんじゃね、とか。  そもそも、なんで俺は魔女のために必死になってんだ? とか。  自分の向こう見ずな部分であったり、案外お人好しな部分なんかを自覚して、ホント、嫌になってくる。  ──自分のことさえマトモに理解できていないからアイツのことも理解できないんだろうな、と。  今更そんな簡単なことに気づけたのは、この澄んだ海の水が俺の頭を冷やしてくれたからだろうか。
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