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海というのは一面が水ばかりではなく、海岸から離れた場所にも岩肌が露出している場所がある。時には人が何人か座れるほどのスペースを持つ大きな岩も存在し、この海もその例外ではない。
今回の場合は、その岩の存在が俺とリサの助けとなってくれた。溺れかけていたリサを救出して周囲を見回すと、数メートルほど離れた場所に、都合よく俺とリサが座れるほどの広さを持つ岩肌が海面から露出していたのだ。
白木さんが居る海岸まではかなりの距離があったため、俺はリサを背負ったまま泳いで戻るのは不可能だと判断。俺たちは岩の上へと一時的に避難し、海上で救助を待っているという状況である。
「……」
「……」
まあ、助けたところで会話が弾むってわけでもないのだが。背中合わせで岩の上に座っているのもあって、リサの表情とか全く分からないし。
「ねぇ、大河?」
「なんだよ?」
「救助って来るのかな?」
「そりゃあ来るだろ。多分白木さんが電話してんじゃねぇの?」
いや、知らんけど。
「ねぇ、大河?」
「今度はなんだよ」
「アタシ、身体が冷えて寒くなってきたんだけど」
「おう、そうか」
「ねぇ、身体が冷えて寒いんだけど」
「いや、それで俺にどうしろと……?」
つーか、俺も普通に寒いんだが。濡れたTシャツ乾かしてる最中だし普通に俺も上裸なんだが。
「ほら、早くアタシを温めてよ」
いやいきなり何言ってんの、この子。
「なんだ? 後ろから抱きしめて温めて欲しいって言ってんのか?」
「うわ、キッモ。ないわー。それだけはないわ。そんなんだからアンタは童貞なんだよ」
「いや、普通に冗談だったんですけどね。そこまで言われる筋合いは無いと思うんですけどね」
助けてやったってのに、感謝の言葉もなく罵倒してくるのはいかがなものかと思う。ありがとうくらい言ってくれてもいいじゃないか。
「はぁ。まあ寒いなら、そこに脱ぎ捨ててある俺のTシャツでも着とけばいいんじゃねぇの? 少しは乾いただろうし、ずっとそのビキニ姿でいるよりはマシだろ」
少々苛立ちながらも、俺は岩に直置きしていたTシャツを手に取り、背後に居るリサへ投げ渡す。
「ま、着ないよりはマシかな」
「いいからブツブツ言ってないで、さっさと着ろっつの」
「って、うっわ。何コレ。クサいんだけど。ダボダボでサイズも合ってないし」
「文句が多いヤツだな……そりゃ海水に浸ってたから多少は匂うだろうし、サイズはデカいだろうよ。嫌なら無理に着なくてもいいっての」
「ま、あったかいから許してあげるけど」
「へいへい、そりゃどうも」
おかしいな。仮にも半裸の男女が2人きりって状況なのに、まるで緊張感がない。慣れとは恐ろしいものだ。
「ねぇ、大河?」
「今度はなんだよ?」
「大河はどうしてアタシを助けたの?」
「……」
いや、目の前で人が溺れてたらそりゃ助けなきゃなって思うのが人ってもんだろう。それ以外に助けた理由なんてない。
「大河は……アタシのことが嫌いになったんじゃないの?」
「は? なんだよ、いきなり」
「だって『協力関係を解消しよう』って言ってきたじゃん。それってアタシのことが嫌いになったからじゃないの?」
「え、いや、あの……は?」
「だから、その! いっつも部屋で漫画読んでてウザいとか思ってるんじゃないの? 急に車で送迎させるのなんて、ありえないって思ってるんじゃないの? 魔女のくせに何様だ、とか思ってるんじゃないの?」
「いやいやいや、待て待て待て。は? じゃあ、なにか? 今日のお前の様子がおかしかったのって……俺に嫌われてるかどうかを気にしてたからなのか?」
「……」
なるほど、否定はしないと。
「はぁ。お前って意外とめんどくさいのな。嫌われてるか気にするくらいなら、普段から俺に優しくしとけっつーの」
「いや、なんというか、それは無理なのよ。うん、それは無理」
「いやホントめんどくさいな、お前」
なるほど。白木さんが『リサは繊細で傷つきやすくてめんどくさい』と言っていたが、やっと納得できた。こりゃ確かにめんどくさい。他人から嫌われるのが怖いくせに悪態をつくのがやめられないって、なんなんだよ。10年くらい前のツンデレかよ。絶望的に魔女に向いてないじゃねぇか。
「まあ、その、なんだ。別にお前のことは嫌いじゃねぇよ」
「……ホントに?」
「いや、嫌ってたらこうして話してねぇから。少し考えりゃ分かることだろ」
はぁ、なんかもう細かいこと考えるのがバカバカしくなってきたな。ちょうど良い機会だし、もう思ってること全部ブチまけてみるか。海に囲まれてるからリサが逃げ出すこともないだろうし。
「えー、コホン。あのさ? 朝に顔合わせて"おはよう"って言って、メシの時は一緒にテーブル囲って、寝る前は"おやすみ"って言って。んで、また朝起きたら"おはよう"って言ってさ。そういうの繰り返してたら……人間、嫌でも少しは情が湧くってもんなんだよ」
確かにリサは真っ先に俺を騙そうとしてきた女なのかもしれない。口は悪いし、勝手に部屋入ってくるし、童貞童貞ってバカにしてくるし、そもそもコイツが俺を送迎役にしなければ、こんなことにはなっていなかった。不満が無い、と言えばそれは嘘になる。
──だが、それは俺がリサを助けない理由にはならない。
人の感情ってのは、そんなに簡単なもんじゃない。理性、感情、行動は必ずしも一致するは限らない。助けるかどうかってのは、理屈なんかじゃない。
たとえ一時の同居関係だったとしても。リサが俺を謀ろうとした悪女だったとしても。それでも絶対助けたいと思ったし、身体が勝手に動いたんだ。だったら、助けるしかないだろう。
「だから、さ。お前が魔女だろうが、なんだろうが俺はそんなの知ったこっちゃねぇんだよ。確かにお前に言いたい文句は山ほどある。でも……嫌いなんかじゃねぇ。嫌いなんかじゃねぇよ」
正直悔しいが、リサが居てくれて良かったと思っているのも事実だ。確かに口喧嘩することもあるし、ムカつく時だってあるけど……コイツが居なかったら俺は、今でも1人で悩んでいたのかもしれない。
──だから、俺が今コイツにかける言葉はコレしかない。
「俺は将来何人もの従業員の人生背負うことになってんだ。御曹司ナメんな。大切な同居人1人を助けるのくらい朝飯前だっつーの」
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